選んだ孤独はよい孤独

2021年7月24日

61

「選んだ孤独はよい孤独」山内マリコ 河出書房新社

 

18篇もの短編が詰め込まれた、しかも薄い本。描かれているのは、男である。それも、つまんない男ばっかである。
 
所有概念のない社会の価値観を分析した文化人類学の本とか、高校生の壮大な旅行の本とかを読んだ後だと、なんでこんな超リアルな現実のちまちましい話を読まにゃあならんのだ、なんてちょっと思ってしまったが、いやいや、現実とはこれである。笑っちゃうほど現実である。
 
恋人同士が同棲を始めたら、男は全く家事をやらなくて、でもそれがどういうことなのか全くわからなくて、彼女が何だか腹を立てていることもよく理解できない。友人グループで、どうやら自分はパシリにされ、いじられキャラになっているが、そこから逃れることは一切考えない。仕事をしている風に見せているが、何一つ役に立っていないが、それが仕事であると自負している。妻の自慢話というか、結果、自慢になるらしきことを話すが、妻を愛しているかと問われて答えられない。そんな男たちが次々と出てくる。
 
おお、どこにでもいるよな、こういう男、なのである。たぶん本人は全然違和感を持たない。生きるとはそういうことだと思っている。そしてそういう男に、ある種の女はいら立ち、ある種の女は、男ってそういうもの、と決めつける。
 
ごく短い短編。定年前の最後の大事な授業に私のすべてを皆に教える、といった教師が、自分の経済史を説明する。給料がどれくらいで、人生の様々なシーンでどれくらい費用がかかって、今自分はどこにいて、これから年金がどれくらいもらえて、保険はどんなのに入っていて・・・と。それが最後の授業だ。主人公はがっかりし、その教師をクズだと考える。人生にリスクを負えとか夢を実現しろとかそういう感動的な話が聞けると思ったのに、と。
 
でも現実はそれだ。老親がこれから何年生き続けるのか、私は客観的に冷酷に計算せねばならない。彼らが安泰な施設で幸せに過ごせるために、今いくらあって、これからいくらもらえて、それがいつまで続くのか。誰かがそれを計算して選択して判断しなければならない。リスキーな夢も結構だが、その結果はだれが責任を持つ?ちまちまと預金通帳を眺め、何度も計算する私のどこに夢がある?
 
生きるとはそういうことだ。夢も壮大な計画も大いに意味がある。が、その背後にあるのはちまちまとした現実だ。大きなことを成し遂げるには、ちまちまが必要で、それを人任せにしたり、そもそも全くわかっていなかったりしたら、その分を誰かが背負わねばならないのだ。ちまちまばかり背負わされてきた女が、怒ってこんな小説を書いちゃうんだよねー、と少し笑ってしまう。
 
でも、世の中はこんな男ばっかりじゃないからね。ひとくくりにしちゃいかんよ。とも言っておこう。

2018/8/30