青年茂吉-「赤光」「あらたま」時代

青年茂吉-「赤光」「あらたま」時代

2021年7月24日

180
「青年茂吉「赤光」「あらたま」時代 北杜夫 岩波書店

夫が図書館から借りてきた本。「面白い?」と聞いたら、「懐かしいね」という答え。彼も、若い頃に北杜夫を読みあさったクチなのだな。

北杜夫が、大好きだった。児童書から大人の本に移る時代に、私はこの人の本を読みあさった。どくとるマンボウシリーズも好きだったが、「幽霊」「木霊」のような純文学に、とても惹かれた。彼の出す本は何もかも読みたいと思っていたが、ある時期から、ぱたっと読まなくなった。たぶん、北氏の躁鬱病が嵩じて、書くものが劣化した時代があったからだと思う。

久しぶりに読む北杜夫氏の文章は、なるほど、しみじみと懐かしかった。と同時に、老いも感じた。これを書いた時、彼はまだ六十代だった。老年に差し掛かって、死ぬ前に父のことを書いておきたいと思ったのだとあった。でも、それから二十年もの時を、彼は生きたのだなあ、と改めて思った。

北杜夫の父である斎藤茂吉は、素晴らしい歌人だった。教科書で読んだ、母の死に際の歌は覚えていたが、この本でいくつもの新たな出会いがあった。今となっては、こんな歌を読める人はもう出ないのではないかと思う。

ひどい癇癪持ちだった茂吉は、妻を殴ったという。その茂吉に反抗した母もあっぱれであった、と北杜夫は書いている。嵐のような癇癪にさらされた子どもであったはずの彼は、しかし、父の文学に憧れ、強く敬意を持ち、自分が足元にも及ばないと深く自覚している。

茂吉は、幸せな父親であったなあ、と思う。

北杜夫も、死んでしまった。北杜夫も、素晴らしい才能であった。でも、躁うつ病だったものなあ。この本の中ですら、時として、あ、ここは躁病だったな、と思わせる部分がある。それはそれで、彼の味だったのかもしれない。

さて。いきなりPCダウンの恐怖に怯えながら、なんとか書きました。ちゃんとアップできるかなあ・・・。

2012/1/18