「永遠の0」

「永遠の0」

2021年7月24日

「永遠の0」 百田尚樹
講談社文庫

私の父は、予科練飛行兵でした。と言っても、入隊したのが3月末で、8月には終戦を迎えたので、五ヶ月間だけでしたが。

先日、帰省した際に、父から「最後の予科練」という題の紙の束を渡されました。これは、父の仲間のひとりが、長年に渡って作業し、校正まで行ったところで頓挫したゲラ刷でした。資料を調べ、同期にアンケート調査を行ったり、手記を集めたりして、いつか本にしようとその方は考えていたそうですが、作業が遅々として進まず、集めた資金も足りなくなり、仲間も減って、ついに頓挫してしまったそうです。

父は最後まで本が出ると信じていたのですが、本人が疲れてしまったので、もう無理かもしれない、せめて自分がゲラだけでも保存して、校正を済ませようと考えたそうです。確かに目を通してみると、誤字脱字だけでなく、文章の重複や、確認の取れていない部分、矛盾する記述などがあって、これを一冊の本に仕上げるには、まだまだ手間と時間がかかりそうです。そして、手記やアンケートを書いた方も、お亡くなりになってしまった方が多くて、今となっては確認しようがない場合が多すぎます。

あと十年早い段階で、しっかりしたプロの手を入れていたら、こうはならなかっただろうと残念な気持ちになりましたが、後の祭りです。私も、父のこういう活動には、十年前当時はまだ冷淡だっただろう、と振り返って思います。貴重な資料ですが、今となっては、これを読みたがる人もあまりいないのでは、とも思ってしまいました。

そんな資料を手元において、あれこれ考えているときに出会ったのが、この本です。特攻隊で亡くなったおじいちゃまについて、若い姉弟が、証言を聞いて回る物語です。

特攻隊を語るとき、私たちはつい、彼らを神格化します。あるいは逆に、この物語の中にもそういう人が出てくるように、理解しがたい、テロリストであると考えたりします。しかし、この物語は、特攻に出ることを拒絶し、必ず生きて帰ってくること、それだけを目標に戦地で闘っていた飛行機乗りの姿を描きます。彼が、その目的を果たすまで、どれほどに血みどろの戦いをし、部下を守り、強い意思を持っていたことか、そしてそれがどんな風に周囲に影響を与え、また、踏みにじられて行ったか。壮絶な物語は、また、いわゆるエリート将校たちが、如何に自分たちの私利私欲に走り、体裁だけのために数多くの兵士たちを犬死させて行ったのかをも、明らかにしていきます。

父の記録の話に戻ります。
入隊のため、父たちが集合しているところへ通りがかった先輩が、聞えよがしに、今から入隊したって、乗る飛行機はないし、土方仕事をやらされるだけだ、やめるなら今だぞ、と言いながら去ったとか。そして、それは真実だったのです。

軍籍ができる直前に脱走した人がいたそうですが、まだ一般人であったため、お咎めなしだったそうです。軍籍が出来た後に、聞いてきたのとぜんぜん違う状況に耐えられずに脱走した人は、捉えられ、むちゃくちゃに殴られ、半死半生となったそうですから、もっと前に逃げればよかったのでしょう。

ハンモックを吊るして寝たそうです。起床ラッパと共に着替えて、ハンモックをたたんでしまい、走って集合する。それが遅いと殴られます。少しでも早く起きるために、軍服のまま寝たそうです。最初の訓練はひたすらハンモックをたたんでしまうことばかり。いかに手早くできるかが勝負だそうで、それが戦争にどう役立つのでしょう。

実は諸君の乗る飛行機はない、と聞かされ、皆は呆然とします。手旗信号やモールス信号の通信方法教育を受けますが、この教官が陰惨な暴力指導者で、間違ったり失敗すると、そのたびに木刀で殴りまくります。とある新兵が亡くなった遠因はこの指導にあったと見られる、とさらりと書いてありました。

陸戦の訓練ばかり、それも匍匐前進を延々させられ、ドロドロでへとへとになり、本土決戦に備えて、敵の戦車に見立てた木の塊に、地雷のつもりの丸太を持って突っ込んでいく訓練をし、これが何の役に立つのだろうと疑問に思う人も多くあったようです。

あとはひたすら、滑走路や飛行場の整備の土方作業に明け暮れたそうです。とにかく早くすることが至上命令で、作業だけでなく、起床でも掃除でも食事でももちろん訓練でも、少しでも遅れると罰が待っていて、腕立て伏せをいつまでもいつまでもやらされ、気を失うと、水をかけられ、バットで殴られ、という話がなんども出てきます。

少年飛行兵です。当時、彼らは、まだ、15歳、16歳の少年です。戦争がひどくなり、どうせ死ぬのなら、お国のために戦って死のうと思って志願した少年たちです。けれど、やっていたのは、意味のないいじめの連続ではありませんか。飛行兵と言って募集しておきながら、訓練場に飛行機が一台もない。本土決戦に際して、最前線で地雷がわりに海岸に配置させるためだけに集められたのだとしか思えません。

面会があって、身内が心づくしのおはぎなどを差し入れると、いやしくも皇国の戦士に腹下しなどがあってはいかん、と衛生兵が没収していったそうです。誰が食べたのでしょう。

夜中に、先輩方が、酔っ払って大騒ぎをしているのが聞こえる夜が幾度かあったそうです。彼らは、自分たちが命を賭して戦ってやるから、おまえらはここで寝ていられるんだ、などと大声で騒いでいたそうですが、その後、特攻隊として出撃していったのだそうです。次は自分たちの番だと思った、と書いてありました。

若い命です。入隊するまでの道のりから、書かれています。母親は誰一人、入隊に賛成していない様子が描かれています。母の涙が見たくなくて、壮行会では違う方向ばかり見ていた、などと書かれています。彼らは、立派に死んできます、とか、白木の箱に入って帰ってきます、などと挨拶するのです。わが子の挨拶を、母親は、どんな気持ちで聞いたでしょうか。それは、どんな絶望だったのか。想像するだけで苦しくなります。

部隊が空爆を受け、全滅に瀕する危機に陥ります。私も父から、丸太のように何百もの死体を運び、何日にも渡ってそれを焼いた話を幼い頃からなんども聞きました。幾つもある防空壕にそれぞれが避難したのですが、ここはいっぱいだから、新兵なら外にいて装備を守れ、などとむちゃくちゃなことを指令された人もいます。けれど、そのおかげで彼は助かり、防空壕は直接弾を受けて全滅しているのです。怪我人、死人の話は、恐ろしくて読むのがつらいです。ぼろ布のように、人は死んでいきます。

父は生き残った。だから、私がいるのです。父は、空襲の恐ろしさを、繰り返し私に話して聞かせました。戦争を知らない子どもである私は、幼い頃から、空襲の夢をみたのです。それは、ほんとうに恐ろしい夢です。実際に経験していない私がこんなに恐ろしいのだから、それを目の当たりに経験した父は、どんなに怖かったことでしょう。

「永遠の0」は、父より少し年長者が、実際に特攻て散っていくまでを描いています。死ぬことを拒絶し、生きて帰ることを願った一人の男が、なぜ死ななければならなかったかの物語です。

あの時代、生きたいと願うことは、こんなにも困難だった。それを願い続けた彼は、スーパーヒーローです。こんな奴はおらんやろう、と思うほど超人的な人間として描かれています。それがすごすぎて、逆にリアリティを失わせている部分もある。けれど、それほどまでに、あの状況は困難だったのだということでもあるのです。

戦いを指揮指導するエリートたちは、兵士たちをただのモノとしか見ていなかった。特攻に出る兵士たちは、飛び立って、突っ込むだけの訓練を重ね、戻ってきて着陸することは教えられていなかったのです。一人ひとりに、それぞれの歴史があり、家族があり、思い出があり、愛情がある、そういう想像力はどこにもなかったのです。

小説として、ご都合主義だったり、リアリティに欠ける部分がないとは言わない。だとしても、この本には、強い力がある。感動せずにはいられないものがあります。

戦争を美化したり神格化したり、あるいはただ嫌悪するのではない、別の視点の持ち方を、この本は教えてくれます。これからのこの国の未来を担う若い人達にも、ぜひ読んで欲しいと思う一冊でした。

2011/1/7