今日はヒョウ柄を着る日

今日はヒョウ柄を着る日

2021年7月24日

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「今日はヒョウ柄を着る日」星野博美 岩波書店

 

ヒョウ柄は、主に関西圏に生息する。もちろん関東圏でも時として出会うが、その頻度は関西の比ではない。ちょっと攻めてみた感じで着られるのが関東のヒョウ柄。関西では、ごく当たり前にカジュアルにヒョウ柄がチョイスされている、気がする。
 
星野博美の住む戸越銀座では、このところ年配女性のヒョウ柄の出現率が高まっているという。星野はヒョウ柄を「自らを大きく見せて戦いを有利に運ぼうととする行為、つまり「武装」なのではないか」と見ている。ライオンは、柄がなく、たてがみでしか強さを象徴できないが、ファッションに取り入れにくい。虎柄は、タイガースファンと間違われる危険性があり、そして、タイガースはあんまり強くない。オオカミは柄がないから、やっぱり自らを強く見せるのは、ネコ科のヒョウである、と。社会全体が年寄りを騙そう、むしり取ろうという方向へ動いているからこそ、おばちゃんたちはヒョウ柄を着るのである、と彼女は看破する。
 
このように、星野博美は一つの物事に着目すると、とことん突き詰める人である。無人島へ本を一冊持っていくとしたらどんな本を選ぶか、という雑誌の企画に、彼女は、どういう状況で無人島に行くのか、と尋ねる。飛行機事故?大型客船座礁?じゃあ、客船で、という答えに対して、その状況で本を持っていることはありえない、仮にポケットに入っていたとして、それが百歩譲って読める状態で残されていたとしても、それが無人島で読みたい本であることはありえない。おそらく客船の「安全のしおり」を暗記するまで読むことになるのではないか、と。じゃあ、自分の意志で無人島へ行ったとしたら、と条件が変更される。彼女は、生きて帰るつもりがある旅か否かでちがう、という。生きて帰るつもりなら生存に必死で本は必要ないし、死ぬつもりなら、そのときに読みたい本があったとしても人知れず死ぬのだから永遠の謎となる、と。かくて、電話は切られる。最後の晩餐に関しても、同じような経過で、永遠に答えは出されない。
 
星野博美の本を何冊か読んで、彼女の人となりがどんどんわかってきて、笑ってしまう。面倒な人である。生きにくい人である。大変だろうと思う。そして、たぶん彼女は私が好きにはならないだろうし、私も友達にはなれないと思う。でも、シンパシーは感じる。そして、彼女が物を書くという仕事を得てよかったと思う。私のように彼女にシンパシーを感じる人が、この世には、割にいるだろう。本当に多種多様に様々な人がいて、人生は、だから面白い。

2018/7/5

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サワキ

読書と旅とお笑いが好き。読んだ本の感想や紹介を中心に、日々の出来事なども、時々書いていきます。

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