安部公房とわたし

安部公房とわたし

2021年7月24日

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「安部公房とわたし」山口果林 講談社

 

山口果林を、小学生の私は、ちょっと怖い感じのお姉さん、と感じていた。朝の連続ドラマのヒロインは、たいてい優しそうできれいな人ばかりだったのだが、この人だけは、なんだか怖い気がした。当時の写真を見ると、若々しくてきれいな人なのだが、私には何故か怖い感じがしたのだった。
 
山口果林が安部公房と出会ったのは、桐朋短期大学演劇科の受験生と面接官という立場のときだった。親子ほども年の違うこの二人は、程なく男女の関係となり、それは安部公房が亡くなるまで続く。その日々を綴ったのがこの本だ。
 
乾いた文体だ。あくまでも、彼女は「自分」を語っている。だから、この本から、安部公房の人となりはほとんど伝わってこない。その関係性も、感情を排除して淡々と描かれている。ただ、その中で、最後まで離婚に同意しなかった安部夫人だけはさりげないながらも鬼のような人物として出てくる。それが妙に怖い。
 
NHKの連続ドラマの撮影直前に彼女は堕胎をしている。まるで皮膚炎を治療したかのようにさらりと書かれている。そして、それについて、ついに感想はない。
 
安部公房がノーベル賞をとれば、離婚させて結婚させてやるといった編集者が出てくる。彼は、安部公房が亡くなったあと、後を追いかけるように亡くなっている。夫人も亡くなった。まあ、だからこれを書けたのだろうけど、二十年くらいの年月は必要だったというわけだ。
 
今ごろ、なぜこれを書いたのだろう。人生の終盤にさしかかり、今書いておかねばと思ったのだろうか。どこかに未練があるのだろうか。結婚したかったなあ、と思っているのだろうか。
 
作家との秘め事を後に暴露したのは、吉行淳之介の愛人の例を知っている。あれは本当にイタイ本だった。この本は、あれに比べれば、まだ冷静だし、文章がうまいからちゃんと読ませるけれど、読み終えて、なんだかなあと思ってしまうのはちょっと似ている。山口果林という女優の半生を知りたいとはあまり思えなくて、結局は安部公房が知りたくて、読者はこの本を手に取るのだ。そこがちぐはぐなのだろうと思う。

2014/4/21