私を知らないで

2021年7月24日

205
        「私を知らないで」 白川三兎 集英社文庫

私は転勤族の子である。小学校は三校、中学校は二校に通った。夫もまた、転勤族の子である。彼も同じくらい転校をしているはずだ。そんな我々夫婦は転勤族となった。息子は小学校を四校、中学校を二校経験している。そうやって、転々とするのが当たり前の生活を我々は続けている。

だが、我が家の末っ子おちびは転勤族の子どもにしてはちょっと特殊な経過をたどっている。物心ついた幼稚園入園時にタイミングよく転勤したため、三年間同じ幼稚園に通い続け、小学校に入学する区切りの時期に転勤。五年生になるとき、幼稚園時代を過ごした土地に戻り、知ってる場所で小学校を卒業、中学に入学した。そして、中3になるこの春、小学校入学時に住んでいた場所にまた戻ることになった。つまり、転校先には小学校時代の友人がたくさん待っている。二箇所を行ったり来たりするだけで済んでいるのは我々転勤族にとってはかなりの僥倖である。とはいえ、同じ場所でずっと同じ学校に通い続けるという世間のスタンダードからすれば、やっぱり彼女も転勤族の不幸から逃れえてはいないのだとも言えるが。

なぜそんなことを書いたかというと、この物語の主人公はおちびと同じ中二の転校生だからだ。どうせまた転校するのだから、という投げやりな気持ちで人間関係をコントロールしようとする主人公の気持ちが、実は私はとてもよくわかってしまう。夫も同じようなことを言っていた。人とあまりに親しくなってしまうと、別れが辛くなるし、その人の気持を背負いきれない。それに、去っていった者を、人は忘れる。絶対ずっと友だちでいようね、などと言う言葉の空虚さも、その歳にはつくづくとよく知っていた私である。

そんな転勤族の主人公男子と、あとから転校してきた、母親がしょっちゅう入れ替わる複雑な家庭の男子、それに貧乏で気の毒な(!)立ち位置の美人女子の三人をめぐる物語だ。

子どものころ私は、大人って子どものことをなんにも知らない、と思っていた。何もわかっていないくせにわかっているみたいに思っている馬鹿な大人。私はそんな大人にはならない、と固く心に誓ったものだ。でも、やっぱりそんな大人になってしまったのだと思う。せめて、何もわかっていないということだけはわかっておきたい、と願う程度の大人ではあるけれど。

しかし、その一方で、また、大人の私は思う。中学生って、なんでもわかっているつもりで、あんまりわかっていない、と。やっぱり視野が狭くて、目の前のことしかわからなくて、あとになったら、何だ、そんなことか、と思うことにとらわれている。でも、その時の自分にとって、それは、「そんなこと」ではないということも、もちろん知ってはいるのだけれどね。

何をごちゃごちゃ言ってるんだ、と思うだろうけれど。そんなことを改めて思い返す物語だったのだ。ここに出てくる三人は、だれもが自分の抱えているものに必死に立ち向かっている。なぜそんなことにとらわれてしまう、とおとなは思うような狭い世界で、彼らは戦っている。その切なさと苦しさと、だからこそそこから抜け出すことの大切さを、凄くリアルに描いていると思う。

でも。でも、そんなオチなのかい?って最後に思ってしまった。いや、読めばわかるけどさ。何もそんな風にしなくても。そのせいで、リアリティが失われてしまわないかい?・・・でも、作者は、書きたかったんだろうなあ。

と、上述したとおり、この春、四年間過ごした関西を後にして、東京に戻ります。引越し準備のため、多少ブログ更新が滞るやもしれませんが、お見捨てなく。それにしても、図書館から借りて山になっている本をすべて読み終えてからここを去れるだろうか・・・。

2013/3/12