孝謙・称徳天皇

孝謙・称徳天皇

2021年7月24日

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「孝謙・称徳天皇 出家しても政を行ふに豈障らず」

勝浦令子 ミネルヴァ書房

 

歴史が好きだ。遠い遠い昔の人も、生きているときは「今」を生きていた、といつも思う。飛鳥天平の頃の人だって、今の私たちと同じように笑ったり泣いたり喜んだり怒ったりしていたと思う。同じような失敗もしただろうし何かを成し遂げて達成感に浸ったりもしただろうと思う。
 
日本史ばっかりで世界史を知らなかった私は、最近、娘に世界史を教わっている。恐ろしいくらい知らなかったことばかりで新鮮に面白い。そして、昔から人間て同じようなことを繰り返してきたんだなあ、学ばないなあ、としみじみ反省したりもしている。
 
世界史に熱中していると、不思議と日本史が恋しくなってくる。そんな時に新聞書評でこの本を見つけた。孝謙天皇といえば、道鏡にたぶらかされたあの人だな、とすぐに思う。千年以上たっても、男に騙されたあの人ね、と思われちゃうのってなんだかな、と気になって読んでみた。ものすごく専門的な本なのでめんどくさくてわかりにくくて何度も挫けそうになったが、二週間かけてやっとこさ、とりあえず表面上は読むことができた。
 
そんな大昔の人に会ったことがある人なんていないんだから、資料から探り探り人となりを想像していくしかないのは当たり前だ。正しいかどうかはよくわからないが、少なくともこの本に登場する孝謙天皇は道鏡にたぶらかされたダメダメな女帝ではない。天智天皇系天武天皇系が合体した皇統の聖武天皇と藤原不比等の娘、光明子というサラブレッド夫婦の間に生まれ、箱入り娘として大事に大事に育てられた孝謙天皇。女性でありながら天皇になるべく教育を受け、純粋培養された真面目で純粋でややファザコンな女性が、周囲に翻弄されながらも、天皇とはどうあるべきか、政事はどうあるべきかを真摯に考えつづけた姿が、大量の資料からていねいに読み取られている。
 
道鏡にまつわるエピソードはたくさんあるけれど、読んでみるとなんだかどれも胡散臭いし、悪意に満ちている。そして、女性に対する蔑視が滲み出ている。孝謙天皇の性的な部分に関する批判は眼にしたことがあるが、彼女がどんな政治を行ったか、崇仏天皇としての基礎をどのように築いたかなんてことを私は学んだ覚えがない。気の毒な扱いを受けた人だと改めて思う。
 
実際には、神、仏、儒の三位一体を主張した聖武天皇の後を受けて、仏、神、儒の順に尊重するという、その後ずっと引き継がれた天皇のあり方の基礎を固めたのはこの人であったのに、そのあたりは放って置かれているのね。
 
世界史をみても、君主、王という地位の人たちは、自分が神に最も近い存在であるとか、神そのものであるということによって権力の正当性を主張してきた。日本の天皇は、神だとか、仏に仕えるだとか、複雑な立場なんだけれど、そこをうまくバランス取ってみせるのは、なかなか難しいことだったのだろうと思う。
 
孝謙天皇は、寝ていたら天井のシミに瑞祥文字があったとか、どこぞの国で蚕の産んだ卵の並びが瑞祥文字になったとか、そういう事例をよく使っている。つまり、彼女の政治が正しいことを、天がいろいろな事象から認めて見せているというのだ。(他の天皇や貴族たちもその方法を使っていたのかもしれないね。)こういう事例を読むたび、私はいつも不思議になる。シミにしても卵の並びにしても、よく見たら、たまたまそう見えただけなのか、誰かが恣意的にそう並べたのか、どっちなんだろう。そして、それをどこまで本気で信じていたのか、あるいはわかりきってやっていたのか、どうなのだろう、と。孝謙天皇なんかは、割と本気だったんじゃないかと思えてならない。天が味方だと信じ込んでいたのではないかと。そこが、純粋培養の弱さというか変な強さというか。道鏡につけ込まれるようになったのも、そういう部分があったからかもしれない。それに、結局は道鏡を天皇にするというアイディアは自分で引っ込めたわけだし、そこまで強引な人でもなかったところを見ると、やっぱり真面目なお嬢様の一生懸命な天皇っぷりだったようにも思えてならない。
 
・・・と、いいかげんに語ってしまって、歴史に詳しい人から見たら噴飯物かもしれないな、と恐ろしくもなる。私は、これを読んでそう思っちゃいました、ということでお許しいただきたい。あー、長かった、頑張った、読めてよかった、私としてはね。

2015/6/8