嘘つき鳥

嘘つき鳥

2021年7月24日

10

「嘘つき鳥」久世光彦 幻戯書房

悪い男だなあ、と思う。「テコちゃんの時間」の久世朋子の旦那であるテレビプロデューサー、演出家、作家の久世光彦のエッセイ集である。妻である朋子さんが原稿を捨て、冊子になったものも棄て、我が家にないことにした「嘘つき鳥」を忘れきれなくて、つい口にしたら出版社が本にしてくれた、とあとがきにある。

小泉今日子があとがきに変えて「くわばら、くわばら」という文章を寄せている。久世光彦はキョンキョンの先生であった。先生でよかった、と彼女はいう。久世光彦の女であったなら、飛び蹴りして、往復ビンタをお見舞いして、最後に果物ナイフでお腹のあたりを刺してスキャンダルになったかも、と書いている。

二浪して東大に入った優等生のくせに、不良と遊んで、人妻と悪いことをして、いろんな女を騙して、嘘をついて、子どもができたと言われてそのまま姿をくらまして。そんな話を感傷的に書いている。嘘ばかりついて疲れたらしい。

窓を掠めて飛び去る鳥がいる。このへんの雀にしては、羽音が大きい。ガラス戸を開けて行方を追ってみたが、もうその姿は見えなかった。嘘鳥なら、ここにしばらく羽を休めていくがいい。生きているものに、一生安心はないというけれど、ここにはもう一話の疲れた嘘鳥がいる。せめて日暮れまで、お互いの長かった日々を嗤い合うのも。存外面白いかもしれない。
                     (「嘘つき鳥」久世光彦より)

彼にとっては、若いころの苦いけれど甘美な思い出なのかもしれないけれど、妊娠して捨てられてしまった女性にとっても同じくらい甘美で苦い思い出ではあるまい、と無粋な私は思う。いろいろな女に嘘をついて、嘘をつかずにいられない自分に酔っていたとしても、嘘をつかれた側はどんなに辛かったことか、苦しかったことか、と私は思う。

相手に想像力を働かせない男が少年みたいな純粋な男なのか。また傷つけてしまった、とため息を付きながら去っていく男がダンディなのか。原稿をゴミ箱に棄てて、二度と思い出すまいと思った妻が、あとでどうしても本にしてしまうというほどに、魅力的なのか。

私には、わからない。

2015/4/16