テレビの見方

おちびがキャンプから帰って来ました。キャンプといったって、海辺の宿に泊まって、礒遊びをしたり、水族館を見に行ったり、スイカ割りをするくらいで、アウトドア!って感じでもないのですが、通っている体操教室の主宰で、思い切り遊ばせてくれるので、毎年楽しみにしています。

帰ってきて、開口一番、彼女が言ったのは「おはすたみる!」という呪文でした。なんじゃ、そら。

同室のお友達が、早起きして、部屋のテレビをつけたそうです。そうしたら、みんな、起き出して、熱心に見たそうで。「それが、おはスタっていう番組だったの。いつも、みんなが知ってるのに、あたしだけ知らないことがあって、なんでかなーって思ってたけど、わかった。おはスタでやってたんだよ。」

我が家は、朝、テレビをつけません。そもそも、私も夫も映像型の人間ではないので、テレビがなくても全然苦痛を感じません。食事中はテレビを消す習慣ですし、食卓からテレビは見えないので、朝食中に見るのは無理です。その番組は、朝六時半から七時半らしいので、時間的には、食事前にちょっと見るか、早めに食べ終えて、食後にちょっと見るか、ということになりますね。でも、彼女は、ゆっくり着替えて、のんびりご飯を食べる。ちょうど、「おはスタ」が終わる頃、フリータイムになるのです。そして、はっと気づく。「今日も、おはスタ見れなかった!」帰宅後、もう4日間もこれをやっています。そして、まだ、一回も見ていない。

朝、テレビを見ない習慣は、時として困った事態を招きます。阪神大震災も、地下鉄サリン事件も、知ったのは、上の子の幼稚園の送迎のときでした。皆が大騒ぎしているのに、私ひとり、何も知りませんでした。サリン事件の時は、夫が千代田線に乗っていたので、万が一ということがあったかもしれないのに。無事だったから良かったようなものの、やっぱりニュースくらいは見なければダメね、と反省したものでしたが、基本的にテレビの音がうっとおしいのと、面倒なのとで、つい、スイッチをいれずに、もう何年も過ごしてしまっています。

教育上の強い信念があってテレビをつけないわけではないので、見たい番組は、ばっちり見ます。とりわけ、おちびは家族で一番見ているかも。「きらりんレボリューション」「クレヨンしんちゃん」「TVチャンピオン」「学校に行こう」「フルハウス」など、お気に入り番組はたくさんあって、時間になると、自分でスイッチを入れてみています。だから、テレビ的情報には遅れを取っていないとばかり思っていました。

ところが、おちびは言うのです。天気予報の見方がわからない、みんなはテレビを見て今日は晴れだとか暑そうだとか言ってるのに、あたしは全然わからなかった、と。そうかもしれません。天気は、朝、新聞の予報欄で見るだけです。詳しく知りたければ、ネットで調べてしまいます。朝、テレビをつけていれば、どこの局でも、繰り返し天気予報をやっているでしょうに、おちびはそれを全く見たことがありません。

さらに、彼女はニュースもほとんど見たことがありません。というのも、嫌がって、消してしまうのです。「だって、事故にあったとか、怪我したとか、殺したとか、火事になったとか、怖いことしか言わないんだもん、見たくない。」それもそうね、とあっさり消してしまう親も親だったかな、と反省するのですが。そういうわけで、彼女は社会情勢からも切り離されて育ってしまっているのかもしれません。テレビ的箱入り娘。この状態は、どうなのかな。親としては、どうするべきなのかな。

悩みつつ、今朝もおちびは「おはスタ」を見逃しました。まあ、本人がうっかりしてしまうくらいなのだから、無理に見せることはないのかもしれません。ですが、これを機会に、たまには子供向けのニュース番組でも、見繕って見せていく必要はあるのかも。嫌な事件、怖い事件も、だんだんに知っていく必要もあるのでしょう。難しい問題だな、と考え込んでしまいました。

2007/7/30