万事OK・女の絶望

万事OK・女の絶望

2021年7月24日

「万事OK」 伊藤比呂美

伊藤比呂美さん、西日本新聞で、こんな連載やってらしたのね。
悩み事相談。
それにしても、伊藤さんならではの質問であり、伊藤さんならではの回答です。

いったい、どこへ行っても、人間ってこんな風に悩み続けてるしかないんだろうか、って思うくらい、リアルな世界でも、ネットの掲示板でも、雑誌や新聞の相談欄でも、似たような悩みが並んでいるのよね。はあ・・・。

読みながら、おお、これは、伊藤比呂美ならではだ、って思ったフレーズがいくつかあって、覚えておこう、と思ってたら、ちゃんと最後に「比呂美婆語録」という欄があって、だれでも、ここで「おおっ」って思うのね、ってわかりました。

たとえばね。

>二つか三つのころに、教わりましたよ。ちーしたいって感覚。ちーでるって感覚。唐突ですがああいうもんだと思いますね、人生は。ちーしたい、ちーでるを口で言えるようにするっていうのが、あのころの目標でした。今のあたしたちも同じです。自分が今、何をしたいか、したくないか、はっきりと把握する。そしてそれをする。そういうもんなんですよ、きっと。

>旅に出たいのにふんぎりがつかない人を、何人も見てきました。ふんぎって出て行って、さんざんな目にあって帰ってきた人も何人も見ました。後者の人々の方が、見ていて気持ちがいいです。あたしゃ、後者として生きたいです。

>思春期になりますと「自分は大切じゃないのかも」ってとこにつまずきやすくなります。そんなとき、バカを言うでない、あんたは大切である、と教えてやるのが親の役目。

>親の思い通りに子どもが育つんなら、オモトに水やってるのとかわりません。そうじゃないから子育てで、オモトの水やりより、おもしろいわけだ。

(上記引用は全て「万事OK」伊藤比呂美より)

さて。
上記の「万事OK」を下敷きにして書かれたのが、この本。

「女の絶望」 伊藤比呂美

万事・・が、2002年発行で、この本は2007年。
その間に、また、いろいろありました。
ってことでしょう。
伊藤さんの姿勢も、ちょっと変わってきています。

>それにしても、あたしゃあむかし、こういう相談を聞きはじめた頃、夫婦の問題には、いつも、「話し合いましょう」ってことをいってました。
あたしゃ人間として、夫婦の片割れとして、ほんとに未熟だったんです。話し合えると思ってたんだからねェ。(中略)でもね、今は身をもって学習し、フィールドワークもいろいろとして、わかっている。今は、話し合えるたァ思ってません。
むしろはっきりと、夫婦の問題は話し合えないと思ってェる。

>来し方をふりかえってみると、あたしは、だれにも離婚しなさいとすすめてきたわけじゃない。むしろ、離婚しないほうがいいてえ助言をしてきたほうが多いくらいだ。(中略)
「老後は、夫でもぞうきんでもいいから、一緒にいたほうがいい。」というフレーズも、なんべん書いたかわからない。

>ひとりで向き合う寂しさと不満だらけで夫と暮らす寂しさ。
「ぞうきん」は、あったほうがましか。ないほうがましか。

なんだか、絶望の度が増したというか。怖くもなりますね。

私は、ぞうきんはあったほうがいいと思う。
夫婦の問題も、話し合わないよりは、話し合ったほうがいいと思う。わかるかどうかは、そのとき次第だけど。

だけど。
彼から、メールが来なくて、ずっとメールを待ち続けるのがつらいって言う相談がきて、こんなことが書いてあるんですね。

女同士のつきあいてえものは、たいていがしゃべるか食うかだ。食いながらもしゃべるんだ。男同士のつきあいっていやァ餓鬼んときから、いっしょに野球見るとか、釣りに行くとかだな。野球や釣りイ行ってね、並んで座ってね、『ナイスキャッチ!』とか、『餌は何?』とか、そンくらいしかしゃべらねえね。一緒に何時間もいるんだから、そのあと電話して、いい試合だったなあとか、でかいの逃がしたなあとか、語り合おうたおもわねえ。

そうだよなあ、って思います。

うちの息子、この間、久々に東京に行って、高校時代の友達に声をかけたら何人か集まったんだけど、「で、何をするんだ?」って言われて、ノープランで責められたんだそうだ。幸いにして、なぜかトランプを持ってるヤツがいて、大トランプ大会になって大いに盛り上がったから良かったけど、驚いたよ、って。

息子、割と女性的というか、おしゃべり野郎なので、久々に会ったら、近況を話すだけで何時間でも持つつもりだったらしいんだが、男同士だとそうはいかんのだ、って気がついたそうな。
そのとき、私は私で、おばさん連中数人と集まって、何時間でも、ファミレスで、わいわいおしゃべりに励んでいたのよね。トランプなんて、全然必要なかった。

女は、話したい。
それが、解決に向かうか向かわないかじゃなくて、とりあえず、心の中に溜まっているものを、言葉にして、外に出して、手のひらに載せて、弄繰り回して、確認して、共有したい。
でも、どうも男はそうじゃないみたいだ。

今日はこんなことがあって大変だったの、と女が言うと、男は、じゃあ、こうしたら、とか、こういう解決方法があるよ、といいたがる。
でも、そうじゃなくて。
そりゃたいへんだったねえ。
と、まず、言ってほしい。
まず、じゃなくて、それだけで、ずいぶん救われる。
そこんとこは、永遠に、すれ違うのだろうか。
夫婦って、話し合えないのだろうか。

いやいや。
違うといいたい私。
だから、私は、話し続ける。
今日、大変だったのよ、って。
ぞうきんより、夫にいて欲しい、と思う。

まあ、それはそれとして。
この本も、うんうんと、頷きつつ読むところ、大なのではありましたが。

(引用部分は「女の絶望」伊藤比呂美より)

2009/10/9