未来国家ブータン

未来国家ブータン

2021年7月24日

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「未来国家ブータン」 高野秀行 集英社

略称は「みらぶー」。ブータンの農業省の国立生物多様性センターと契約したバイオベンチャーの社長である友人の依頼で辺境作家 高野秀行がブータンの調査に行ったお話である。社長からは漠然とブータンについて調べてくれればいいと言われたが、伝統薬や生物資源調査とともに、彼のもう一つの目的、イエティ(雪男)調査も行なっている。

と言っても、高野さんが長年培ってきた「お茶を濁す技術」を武器に、どこへ言っても楽しんじゃう、というか馴染んじゃうのが彼のやり方。そして、大きな結論も成果も得ないまま帰国するのも、いつものこと。まあ、でもいいんだろうなあ。ブータンという国を体感する、ということが一番の目的だったみたいだし。

ブータンは、日本の江戸時代みたいに鎖国政策を取りながら、その一方で教育水準も高く、環境に対する意識も高く、しかしながら、妙に占いを信じていたり、かと思うと、雪男はいる、と断言する者あり、いるわけ無いじゃん、と笑い飛ばす者あり。なんとも不思議な国なのである。

「ブータン人に教えることなし」という章がある。少し引用する。

 どうしてブータンのエリートはこう謙虚なのかと思う。ガサで出会った公務員の若者たちも似たようなことを言っていた。
ゾンカ語では「調査する」と「学ぶ」が同じ言葉である。例えば「ラヤ村を調査する」という場合は「ラヤ村を学ぶ」と言う。これは単に言い回しにすぎないのかもしれないが、彼らの態度は正しくゾンカ語表現の通りだ。
何より感心するのはツェンチョ君である。私は実は二村さんから「同行する国立生物学多様性センターの研究者に村の人への接し方を教えてほしい」と言われていた。どこの国でも中央官庁のエリートは地方の村では上から物を言いがちだ。それは私もよく知っているから、数少ない私の役目として心得ていた。
通ろがツェンチョ君はどこに行っても。誰に対しても、丁寧なことこのうえない。ラヤで話を聞くときも「突然ですみませんが・・・」と頭を低くし、相手の話が脱線しても「ほう、そうですか」と感心したように相づちを打つ。
気遣いも欠かさず、いつも懐には飴をたくさん入れていて、村の道を歩いているときでも、訪れた家でも、子供を見ればすかさず呼んでひとりずつ手に飴玉をのせてあげる。子供は当然喜ぶし、それを見た大人たちの表情も和む。そうか、こういうふうに接すればいいのかと私も真似するようになった。まったく勉強になる。

これは、このツェンチョ君に限ったことではなかった。エリートと呼ばれる者たちは皆、一様に謙虚で、生活もつましく、威張ったことろがない。人々もまた、環境に対して傲慢でなく、生き物への慈愛に満ちている。まったく、読んでいて、本当にそうなのか?騙されてるんじゃないのか?と思うほどである。ってか、裏があるんじゃないかね、と思わずにはいられない。

高野秀行も、そこら辺は多少は勘ぐっていて、差別のことや、毒人間と呼ばれる人達のことも少し調べているのだが、あまり深くはわからない。ってか、国王が、そういう差別はダメよ、と自ら毒人間を側近に取り立ててるので、なんか解決しちゃったっぽい、とレポートしている。そんな簡単なのか?

でも、そこら辺があんまりはっきりしない内に帰国しちゃうのが、いつものお茶を濁す技術持ちの高野さんなので、それ以上は期待できない。

だとしても、どこかの国の、特権意識を持った電力会社のトップや、それと癒着している経産相のお役人のことを思うと、ブータン、夢の国じゃないか、と思ってしまう私なのである。

2012/6/5