芸能人寛容論

芸能人寛容論

2021年7月24日

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芸能人寛容論 テレビの中のわだかまり」武田砂鉄 青弓社

 

本人が「ナンシー関のエピゴーネンじゃん」と言われたエピソードをあとがきの中で披露している。むしろ、ナンシー関を尊敬してやまないからこそ、エピゴーネンと呼ばれることすらはばかられる、とまで書いてある。そうなのだ、ナンシー関は永遠に戻らない。あの鋭さ、瞬発力、透徹した論理は、二度と手に入らない。
 
どちらかというと、内輪ネタ的な章のほうが面白い。aikoと結婚する、と言い張る編集者が、いつかどこかでaikoと出会ったとき、「ああ、あの人・・・」と気がついてもらえるために、その編集者の実名をかき、彼がどんなふうにaikoを語ったかを克明に描くところとか、西野カナの話をすると、人はどんなにつまらなくなるか実況するとか。
 
結局、芸能人ネタは、話のきっかけになるよなあ、という、どうでも良い感想が最後に残る。あの芸能人のああい言うことろがさあ・・から始まって、会話相手との共通の友人のことや、最近頭にきていることなどに話が広がる。そのきっかけとして、芸能人は良い役目を果たすよね、ということだ。そんなどうでもいい話を、人とあってする機会さえ、この処奪われているよね。いつまで続くんだ、この外出自粛。老いた母が、週一回の楽しみの外出さえ奪われ、「学校に行けない小学生のような気持ち」だとメールで嘆いていた。でも、でかけたら?とは言えない。
 
ついでに事務連絡。東京に転勤が決まりましたが、その後、移動時期が例年より一ヶ月遅れになると言い渡されました。段ボール箱39箱、もう詰めちゃったのよ。ゆるゆる準備しますわ。この宙ぶらりんな気持ち、どうしたら良いのやら。

2020/3/11