風の帰る場所

風の帰る場所

2021年7月24日

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「風の帰る場所ナウシカから千尋までの軌跡

宮﨑駿 文春ジブリ文庫

先に続編を読んでいた。渋谷陽一による宮﨑駿のインタビュー集。最初のものは1990年の発言である。これをずっと読んでいくと、宮﨑駿が何を考えて映画を作ってきたかがわかる。そんなに美しいヒューマニズムや浪漫なんかじゃなくて、極めて個人的な思いだったり、プロダクションの都合だったり、様々な要素があったからこそあれだけの映画が出来上がってきたのだということもわかる。

手塚治虫やスピルバーグやデズニーに対して、手厳しい批判が語られている。手塚治虫が死んだからといって安心して褒めるようなことはしない、今でも手塚さんと戦っているんだと思っている、という発言には胸を突かれる。

いろいろな思想的な変遷もありながら、最終的には世界を肯定したいという思いが彼の作品には貫かれている。私が彼の映画を好きなのは、たぶんそこが伝わるからだ。

例の同時多発テロのことを友人と話していて、「いやあ、これはエライことになりましたな」「こんな大量消費のバカなことをやってて文明はめちゃめちゃになります」って話してたんですけど、その会話の席にね、もっと駄目になるとわかっている日本で生きていかなきゃいけないその友人の娘がチョコチョコッと歩いてきたらね、この子が生まれてきたことを肯定せざるをえないよねって、とにかくそれだけは否定できないというところに落ち着いたんですよ。その子の存在と、この日本の状態とか世界の状態っていうのにどういうふうに橋を架けていくのか、この子はどういう目に遭うのか、その中を超えていけるのか、その中で踏み潰されてしまうのか、それも含めて、この子が生まれてきたことに対して、「あんたはエライときに生まれてきたねえ」ってその子に真顔で言ってしまう自分なのか、それともやっぱり「生まれてきてくれてよかったんだ」っていうふうに言えるのかっていう、そこが唯一、作品を作る軽くらないかの分かれ道であって、それも自信がないんだったら僕はもう黙ったほうがいいなっていうね。
(引用は「風の帰る場所」宮﨑駿 より)

2014/4/18