ある日うっかりPTA

ある日うっかりPTA

2021年7月24日

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「ある日うっかりPTA」杉江松恋 角川書店

 

ライターの杉江松恋が、2008年から2011年にかけて三年間PTA会長を努めた記録。「レポ」という雑誌に連載されていたものが原型だ。話は横に逸れるが、「レポ」は、面白いと購読し始めた矢先に廃刊になってしまった雑誌だ。最近じゃテレビ番組「久保みねヒャダこじらせナイト」が同じパターンである。見つけた途端に終わるのって、悲しい。
 
PTAなんて別世界だと思っていた杉江さんが、推薦委員のお願いをうっかり受けてしまったがために、PTA会長になってしまい、三年間、未知の世界で頑張り続けたお話。非常に身につまされて読んだ・・・のは、私も似たような経緯で副会長をやったことがあるからだ。
 
杉江さんは、会長職を引き受けた時、なんと金髪であった。長年勤めた会社をやめて、そうか、これからは金髪だっていいんだ、と染めた、その髪を、会長をやるなら黒く染め直してくれ、と言われてスッタモンダしたのである。結局、染めはしないが、刈った。結果、もっと凶悪な顔になったのはご愛嬌である。
 
PTA会長とか副会長とかって揶揄の対象である。ざあますタイプの教育ママと思われたり、やたら支配的な母親をイメージされたりするところがあって辟易する。しかも、最近はPTAは強制的に無駄なことをやらされて、本当な自由加入なのに無理やり会費を払わされて、やらなくてもいいようなことばかりやらされて・・・・とすっかり悪名ばかり立ってしまっている。で、実際には学校や教育行政と、保護者の間に挟まれた、辛くて大変な中間管理職的な立場だったりするのである。たいへんなのよ、いろいろ。
 
前例に縛られて、新しいことはやりにくいし、かと言ってマニュアル通りに進めようとすると、現実との齟齬が生じる。地域性もある、妙な伝統もある。周年行事なんて何のためだかわからない面倒なものもある。
 
松恋さんのご苦労は、全てが身につまされるものであった。会員間の人間関係のごちゃごちゃも、仕事の押し付け合いも、学校側との対立も、そりゃあるわよ、人間同士だものねえ。どうでもいいような、やらなくてもいいような仕事もしたし、時間の無駄みたいなこともあった。だけど、本当に子どものために役に立つ仕事だってたくさんあったし、それが自分に返ってくるような体験も、たくさんできた。地域にたくさんの知り合いや友だちができたし、学校で何が行われているのかも、とても良く把握できた。
 
松恋さんも書かれているけれど、私も、PTAは学校という場を通じて大人が学ぶ機会を持てるものでもある、と思う。誰のためでもなく、自分のためにやるものだし、結果として得られるのは、子供の教育的効果とかそんなものでは一切なくてただ、自分がちょっと多くのことを知って、何人かの得難い新しい友人を得た、ということだったりする。それでいいのだ。学校を、教師まかせにするのではなく、保護者も断続的に出入りし、見守り、時に口と手を出し、一緒に子供と育っていく。そんな場所のひとつであればいいのだと思っている。

2017/10/31