偏愛ムラタ美術館

偏愛ムラタ美術館

2021年7月24日

「偏愛ムラタ美術館」村田喜代子

図書館では、まず、本日の返却棚を見る。
児童書を経て、文庫、エッセイ、文学、の棚を回る。
それから家庭一般、総記、紀行文など。
最後に、技術、科学、産業などの棚を歩き、美術、写真の棚を眺めて、カウンターに戻る。

村田喜代子さんは大好きな作家で、いつもエッセイや文学の棚ではチェックする。
だけど、まさか美術の棚でお目にかかるとは。
ざーっと目を通していて、おや、本と目が合った、と思ったら村田さんだった。
あらら、村田さんがなぜ、ここに?

こういうの、出会いだなー、と感激するのである、私は。
と、ちょっと誇らしげに夫に話したら、そんなの作家名で検索かければ一発で出るじゃん、といわれてしまった。
いや、そういうことじゃないのよね。偶然出会う喜びってあるでしょ。
図書館を彷徨う醍醐味は、そこにこそ、ある。
まったく、もう・・・。

雑誌「一枚の繪」に連載していたものを再構成した本。
選ばれているのは、村田さんらしい、有名無名にかかわらず、個性あふれる絵の数々。

ゴッホの浮世絵、ボタニカル・アート、東勝吉、富岡鉄斎、川鍋暁斎、アンドレ・ボーシャン、三松正夫、ルドン、小林小径、野見山暁治、村山槐多、大道あや・・・。

私に絵心は無い。
悲しいほど、無い。
叔父は美術の教師で、たまに個展を開く人だし、母は、弟であるその叔父よりも実は自分の方が絵がうまい、といってはばからない人だ。
だけど、その遺伝子に私は恵まれなかった。
絵を見ても、何がどういいということができない。
ただ、おお、すごい、とか、なんだかいいなあ、とかそんな気の利かないことしかいえない。
でも、観るのは好きなのだ。
いい気持ちになったり、なんだか切なくなったり、絵に感情が揺さぶられることは、確かにある。

村田喜代子さんが好きだ。
彼女の書く物は、おいしい食べ物のようだ。
がつがつと何度でも口に放り込んで、咀嚼して嘗め尽くしたいような気がする。
その村田さんが、絵について語っている。
ただ一枚の絵で、こんなに語れるのか、というほどに、夢中になって語っている。
私は、絵を愉しみ、村田さんの文章を楽しみ、おお、なんと気持ちいい、とうっとりする。

東勝吉という、きこりだった人が、老人ホームに入ってから描いた絵を、村田さんが語る。
きこりという職業、山の中で東さんが見たであろう風景、携わった重労働、その生涯、体つき、絵を描いた心持ち。
絵の持つ力と、文の持つ力が、私に流れ込んで、私は幸せである。
なんといういい絵だろう、なんという気持ちの良い文章だろう・・・・。

絵を見ていたら、由布院に行きたくなった。
由布岳と、東勝吉の絵を見たくなった。

2011/2/18