あちらにいる鬼

あちらにいる鬼

2021年7月24日

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「あちらにいる鬼」井上荒野 朝日新聞出版

 

井上荒野の父、井上光晴と瀬戸内寂聴の恋愛をモデルにして書かれた小説。帯を瀬戸内寂聴自身が「作者の父井上光晴と私の不倫が始まったとき、作者は五歳だった」と書いている。父の不倫相手の愛人に帯を書かせるというのも不思議だが、小説を読むともっと不思議な事だらけである。
 
井上光晴は、じゃない、この小説では白木篤郎だが、その男は、妻がいながらあちこちの女性に手を出しまくった。女流作家の長内みはる(瀬戸内寂聴)はもちろん、酒場の女性やガラス工芸作家、取材先のソビエトの女性(森鴎外ばりに、日本まで追いかけてきたのだ!)。姉妹でバーをやっている姉に手を出して妊娠、堕胎させ、彼女が自殺未遂をはかったときには妻に手切れ金を渡しに行かせた。その後、妹に手を出したという。
 
それでも、一番なのは妻であり、愛人での一番はみはるであった。みはるの作品を発表前にすべて読み、手を加え続けた。一方で、妻は夫の作品の清書を担当し、夫名義でいくつかの短編を書きさえした。篤郎が文学学校を興すと聞いて、愛人一号も妻も教え子にだけは手を出すなと釘を刺すと、「そんなことする訳がないじゃないか」と怒った彼は、もちろん、教え子にも手を出した。
 
妻も、愛人も、そんな篤郎を許し続けた。それって何だろう、と思う。私は出来ないな。というか、彼女たちも、本当は出来なかったんじゃなかろうかと思う。出来ないことをやった。篤郎は、それに乗っかり、甘えていた。全然素敵な話じゃないと思う。
 
なんてことを夫に話していたら、「『しろばんば』みたいな良い物語を書きながらねえ・・」という。いや、それ、井上靖ですから。「じゃあ、あれか。『きらめく星座』か。」いや、それは井上ひさしですってば。「じゃあ、『敦煌』。」それも井上靖。「じゃあ、一体何を書いたの?」と問われて、はたと気がついた。私も、井上光晴は、一冊も読んでない。とほほ。情けない夫婦の朝の会話であった。
 
まあ、そんな井上光晴も、癌が見つかって、あっけなっく死んじゃったわけだ。寂聴さんはいまだに生きてるけどさ。奥様も、ほどなくやっぱり癌で亡くなったらしい。そして、二人仲良く、寂聴さんのお寺に埋められているんだって。死んでからも三角関係を続けるんだ。そうなっちゃえば、案外仲良くやれるのかな。
 
どんな人でも、いつか死んじゃって、死んじゃったら許すも何も、それを受け入れるしかないんだから、結局、死って究極の許しである。と、つくづく思うね。むしろ、死なないほうが怖い、と思う今日このごろである。

2019/4/4