謝るなら、いつでもおいで

謝るなら、いつでもおいで

2021年7月24日

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「謝るなら、いつでもおいで」川名壮志

 

筆者は毎日新聞記者。佐世保小6同級生殺害事件の被害少女の父は、筆者の直属の上司だった。この本は、極めて近いところから事件を見ていた筆者による、新聞には書ききれなかった話である。
 
毎日新聞の佐世保支局は支局長住宅の下の階にある。だから、筆者は被害少女には日常的にあっていたし、夕食に招かれて、団欒に加わることさえあったという。
 
被害少女の母は乳がんでなくなり、残された家族は助け合い、仲良く暮らしていた。父親は「大人(たいじん)」と呼ばれるような人格者であった。
 
事件が起きたとき、父親が行った記者会見を覚えている。こんなひどい出来事に直面したにもかかわらず、自分が記者であるからには話さねばならないと語っていた彼のあり方に、私は驚嘆したものだった。その後、会見に出ることがなくなったのはドクターストップがかかったからではあったが、手記という形で出される彼の言葉には、いつも胸打たれた。被害者としての苦しみだけでなく、加害少女への眼差しに、大人としての強い責任感と誠実さを感じたからだ。
 
この本は二部構成になっている。一部は当時の取材の内容をまとめつつ、書ききれなかったことが整理されている。断片的にしか出てこない情報を元に、見当違いな分析や的はずれな批判がマスコミ報道された経過も伝わってくる。事件の周囲で、どれだけの人がどんなに傷ついたのかも、加害少女が最後まで謝罪を口にせず、事の重大さを理解しなかったことも描かれている。
 
二部は、加害少女の父親と、筆者の上司でもある被害少女の父親と、その息子である被害少女の兄へのインタビューを中心に構成されている。加害少女の父親へのインタビューは内密に行われ、しばらくは報道にも載せられなかった。筆者が、上司である被害少女の父を配慮してのことである。
 
加害少女が成績下落を理由にバスケットボール部をやめさせられたことが事件の発端と報道されたことから、強い非難の対象となったその父親は、障害を抱え、経済的困難に直面しながらなんとかそれを乗り越えつつあるところだった。部活をやめさせたのは成績のせいではなく、練習の終了時刻と、山上にある自宅までの終バスとの兼ね合いの問題だった。働くのに必死で、子どもをかまってやりきれなかったのかもしれない、と懺悔を口にする彼は、毎月被害少女の父に詫び状を書き続けていた。
 
被害少女の父親は、それまでの行動からもわかるように人間としてとても大きな人物である。が、その苦しみは深く、当時の話を読むのは苦しかった。
 
私がもっとも胸打たれたのは、被害少女の兄の話だった。兄弟だからこそ話し合えていた秘密が、そこにはあった。加害少女のことも、トラブルがあったことも、兄は知っていて、それがここまで重大な事態に発展するとは思っていなかった。その事実を彼はいつまあでも抱え、考えずにはいられなかった。うちひしがれる父を前に、泣くこともままならなかった。受験を控えていた彼は、勉強に逃避し、志望校に合格し、通い始めたが、暇ができると妹のことを考え、うつ状態に陥っていく。どうしても授業に出る気になれず、保健室登校を続け、ついには退学する。その時まで、父に自分の状態を相談することはできなかった。父をこれ以上苦しめたくなかったからだ。
 
親の苦しみを思い、妹への後悔を背負い、彼はどんなに苦しかったことだろう。思いやり深く、誠実であればあるだけ、彼は追い詰められた。それを思うと涙がでる。
 
十年という年月がたち、彼は加害少女への気持ちを淡々と筆者に語った。その言葉は、人は成長し、許し、受け入れ、けれど、忘れない、ということを教えてくれる。どんなに傷ついてもなくならない人間の魂の崇高さというものを見せてくれる。
 
表題の言葉は、兄の口から出たものである。彼の加害少女への思いを本人が聞いたら、何を感じるだろう。
 
同級生を殺してしまった彼女は、もう施設を出てどこかでひっそりと暮らしているという。自分がしてしまったことを、彼女は今、どう考えているのだろう。被害少女、その父、その兄に対して、どんな思いがあるのだろう。
 
私は、それが知りたい。でも、それはきっと永遠にわからないことなのだ。

2014/10/11