魔女の1ダース

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2021年7月24日

「魔女の1ダース~正義と常識に冷や水を浴びせる13章~」米原万理 新潮社

講談社エッセイ賞受賞。これを、まだ読んでいなかったのだなあ。

この人の深さ、豊かさ、強さには、いつも心を揺さぶられる。
経験の豊かさ、現実に学ぶ賢さ、そして深い知識。
通訳という職業が、彼女の美点をさらにいっそう磨き上げたのだろうと思う。それにしても、惜しい人を亡くした、本当に・・・。

印象深かったエピソードをいくつか。

「近いほど遠くなる、遠いほど近くなる」という章。
子ども時代、ロシア語が全く分からない状態でロシア語学校に放り込まれると、ブルガリア、チェコ、ポーランドなどのスラブ系言語の子どもたちが一ヶ月でロシア語をしゃべりだす。
日本語や朝鮮語など、かけ離れた言語を母語とする子どもたちは、七ヶ月から一年をかけて、やっとしゃべれるようになる。
ところが、そういう子どもたちの方がより完璧にロシア語を習得し、スラブ系の子どもたちは、いつまでたっても、母語の訛を引きずり、すぐに外国人だと分かるしゃべり方しか習得できない。

旧ソ連崩壊後に、ロシア圏の官僚や企業家が市場経済の原理とノウハウを学ぶために日本に研修に来ると、同じことが起きる。
英語がある程度できて、市場経済の基礎をかじった人と、全く無知に近い人が混在していると、飲み込みが悪く、いちいち講師の言葉に突っかかる「無知」派の人々の存在が、三日ほどたつと、彼らのおかげで授業に深みと奥行きが出ていることに気づかされるという。
根源的で哲学的な彼らの質問は、優等生たちの理解が、いかに上面のものであるかを思い知らされるのだ。

効率一辺倒で、習熟度別クラス編成をする学校が、いかに学習の機械を喪失させているか、と彼女は説く。
算数の神さまにあまり恵まれていないわが子を省みて、私は、確かに根源的な質問を突きつけられては、自分が説明できない現実に立ち戻って、より深く考えざるを得ない経験を常日頃しているので、確かにそうだなあ、と思うことである・・・。

「イラクの日本人」。
イラク人を食事に招待して、その客が高価な皿を割ってしまうとして。
その客は決して謝らないどころか「マーレッシュ=気にするな」というんだそうだ。
そりゃ腹立つわな。
でも、彼らの発想は、こうだ。

『割れてしまった皿は、元に戻らない。その皿をあなたが割ったということならば、どれだけ責任と悔恨の念に苦しめられるだろう。ところが、神は、その皿を割ってしまうという不幸をわたしの身に振りかけた。だから、気にすることはない。あなたは幸福者だ』
(「魔女の1ダース」米原万理 より引用)

この発想になれるのは、大変だろうなあ。
でも、私、好きかも、と思う。
だって、お皿は、もう、元には戻らないんだもの。
気にすんなや。って、私も、案外、言えちゃうかも。ひどい?

2009/10/1