55歳からのハローライフ

55歳からのハローライフ

2021年7月24日

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「55歳からのハローライフ」村上龍 幻冬舎

 

調べてみたら、NHKでドラマ化されていたのでした。で、もう再放送も終わっちゃってるのね。そういうことって多いなあ。見たかった、と思った時にはもう手に入らない。いや、オンデマンドとかで見ようと思えば見られるんだろうけれど、そこまでする情熱はないし。
 
5つの短編小説が入っている。悠々自適な人、中流の人、低所得の人、それぞれに55歳以降になんらかの再出発をしようとしている人たちの物語。同じような年頃なので、なんだか他人ごととは思えなくて、結構入れ込んで読んでしまった。
 
会社というバックアップを外れたら、誰も自分を必要としていないことに気付いて呆然とするオヤジとか、子どもの手が離れたあとにペットに入れ込む女性とか、思い切って離婚して新たな結婚相手を見つけようとする中年女性の哀しみとか、ホームレスの幼なじみと再会して助けてやる中年男性とか、トラックの運転手を引退して、遅咲きの恋に出会ってしまった男とか・・・。
 
人を信じること、程よい距離を保ってつながりあうこと。結局人生のテーマはそこに行き着くのだろうか、なんて私はこの本を読んで思ったのだ。
 
そういえば、高校時代に倫社の教師が、人間にとって一番大事なことはなにか、といきなり聞いたことがある。ひと癖ある同級生が「それは、感性である」と答えてたらその教師は「へ?カンセイ?なんだそれは?」と首をひねっていた。そいつは「いちばん大事なのはな、覚えておけ、『信用』だぞ。」といったのだ。
 
ふん、と高校生の私は思ったものだ。なんだよ、それ。つまり人にどう思われるかがいちばん大事だって言ってるんじゃないかよ。自分がどうありたいかじゃなくて、人にどう思われるかのために生きるなんて、まっぴらごめんだね。つまんない大人だなー、と。
 
その教師のことはあんまり好きじゃなかったし、今振り返ってもそんなに尊敬できる人だったとは思わない。だが、ある種の真実を彼は言っていたのだな、と今は思う。自分を信じること、人を信じること、そして、人に信じられていると信じること。それは、たしかに人生の大きな支えになる。原動力になる。
 
高校時代は、特にそのありがたみに気づくこともなく、親や周囲の大人たちがある程度は守ってくれていた。守られているのが当たり前で、守られていると信じることの重要性すら意識しないで済んだのかもしれない。大人になると、一人で何とかしなければならないことばかりで、でも、自分一人じゃ生きていけないから、誰かを信じたり、信じられたりすることは本当に切実に大事なことになる。ましてや、がむしゃらに働いたり子どもを育てたりし尽くして、ほっと立ち止まったその時、人はむき出しになるから。
 
平均年齢がのびて、私たちは「老後」を長く過ごさねばならなくなった。年寄りだって、心は動く、希望も持つ、行動していたい。どんなふうに?何を目指して、何を支えに?そんなことを考える年令になったのだなあと改めて思う。
 
そんな私に、この本は面白かった。たぶん、高校時代だったら違っただろうなあ、と思ったりもする。ドラマも見てみたいなあ、やっぱり。
 

2015/5/19