〈叱る依存〉がとまらない

〈叱る依存〉がとまらない

96村中直人 紀伊国屋書店

叱られるのが、嫌いである。誰だってそうだよ、と言われるかもしれないけれど、そんなことないよね。厳しく接してほしいとか、根性で理不尽を乗り越えたところに成長があるとか、愛ある叱責は人を育てるとか、そんな風に信じている人は多い。体育会系の集団には根性論や体罰がいまだにはびこっている。それは叱ること、叱られることを皆信仰しているからだろう。私は、そういう風潮や空気がものすごくきらいだ。叱られるのが嫌いだから、叱ることだって好きじゃない。子どもたちをしっかりしつけたか、と問われると全然自信がないのは、あんまり叱ってないという自覚があるからだ。朝いくら起こしても起きない息子を、いくら叱っても無駄だと思ったら放っておいたし、わがまま言う娘の言葉を叱り倒さないで勝手にせい、と放置していた。いい加減な母であった。でも、それしかできなかったんだもん。という開き直りを許してほしい。叱らないで。

「叱る」とは、言葉を用いてネガティブな感情体験(恐怖、不安、苦痛、苦しみなど)を与えることで、相手の行動や認識の変化を引き起こし、思うようにコントロールしようとする行為である。そうしたネガティブな感情に反応するのは、脳の偏桃体である。近年の研究では、偏桃体が過度に活性化するようなストレス状況は、知的な活動に重要である脳の前頭前野の活動を大きく低下させることが確認されている。叱られてストレスを感じ防御モードになった人は深く考えるのをやめて、その苦痛からの回避のために即座に反応する。ということは、なぜそれがいけないのか、どうすればいいのか、などという学習促進は期待できないのだ。(とものすごく乱暴に書いてるけど、もっと詳しく説明されてますから、本書を読んでね。)

叱られたら、言われたことをやめる、あるいは指示された通りに行動する、それが手っ取り早いストレスからの回避方法である。つまり、即効性があるから、叱ったほうは「わかってくれた、学んでくれた」と思いやすい。しかも、叱ったほうは、自分の正しさが認められた、伝わったという報酬を得ることができる。うまくいかない現実を、自分の言葉一つで正しい姿に変えられる、という出来事は、脳の報酬系回路を活性化し、ドーパミンが大量に放出される。だが、叱ることの効果は一瞬で、また同じことが繰り返される(場合が多い)。すると、さらに叱る。人は、慣れる。だから、叱られる方はだんだん即効性を見せなくなり、だからこそ叱る側はさらに強く叱る。それによって効果が出れば、それが正しかったとさらに認識し、報酬を感じるわけで。そんなこんなで、叱ることは依存の対象となりうるのだ。

不倫をした芸能人や、ちょっと常識から外れた行動をした有名人が炎上したり、ものすごく叩かれたりするのも、その延長線上にある、とこの本は指摘する。確かにそうだよね。芸能人が不倫しようがしまいが、私たちの生活には何の影響もないのに、誰が誰と結婚しようが、私たちが困ることは何一つないのに、血道をあげて多くの人が叩く。あれは、依存症の一種である、と説明されればまさしくその通りだ。

母親は家庭における権力者だし、上司は職場においての権力者だし、教師は教室における権力者だ。叱ることで正当化されそうな立場にある者たちはみんな一度、叱るとは何なのか、自分が叱ったことは、本当に正しいのか、どこでそれをやめればいいのか、一度よく考えたほうがいい。それだけでなく、社会全体にはびこる処罰感情を、私たちはもう一度見直したほうがいい。

どうしても叱っちゃうんだよな、でも、全然効果ないし、いらいらするし。と思ってる人、ぜひこの本を一度読んでほしい。きっと気が付くことがあるからね。