あなたがいる場所

あなたがいる場所

2021年7月24日

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「あなたがいる場所」 沢木耕太郎 新潮社

リンドグレーンは、私の救世主だった。小さな子どもだった私は、「長くつ下のピッピ」に心から憧れた。彼女は大人に支配されない子どもだった。もう寝なさい、とか、勉強しないとダメよ、とか、玉ねぎも嫌わずに食べなさい、とか言われないで生きていた。お金だって、金貨をスーツケースにいっぱい、持っていた。学校に行けという大人の命令にも従わなかったし、盗みを働きに来た泥棒と一緒にダンスを踊り続けて、ヘトヘトにさせた。ピッピは、大人なんかの言いなりにならなくてもいい生き方を、私に見せてくれた。

それからもう少し大きくなって、今度は、山中恒や後藤竜二が私を助けてくれた。彼らは今度は、大人に「NO」と言ってもいいんだと言ってくれた。親や先生が読め読めと「教育上の観点から」必死に薦める活字の本の中で、彼らは、大人は間違ってる、大人はずるい、と教えてくれた。そうか、言うことを聞かなくてもいいんだ、あの人達、間違ってることだっていっぱいあるんだ、と私は思った。そうしたら、ものすごく気持ちが楽になった。そして、私は大人を否定することを覚えた。そのことに、罪悪感を抱かなくなった。自分で物を考え、行動しようと思うようになった。それは、私が大人になるための第一歩だったのだと思う。

なんでそんな話をするのかというと、私はこの本を読んで、もしかしたら、あの頃の私のように、この本に出会うことで、楽になる子どもがいるのかもしれない、と、ふと思ったからだ。ここに出てくるのは、もちろん、子どもだけではないのだけれど、何かにとらわれて苦しんでいたり、苦しいということにすら気が付かないでいる人が、ある日、ちょっとした出来事で、ふっと楽になる、とらわれていたことからすっと解放される、そんな一瞬を描いているからだ。

沢木耕太郎は、ノンフィクションのほうがいい。絶対に、いい。だけど、彼の核となるものは、小説にもやっぱり現れていて、それはノンフィクションほどに私の心をつかむわけではないけれど、やっぱりどこかで心を自由にしてくれる。圧倒的な事実に比べて、作り出された物語は、むしろ弱々しくさりげないものではあるけれど。でも、もしかしたら、これは、ある種の子どもにとって、大きな力を持つのかもしれない、と思えたりもするのだ。

2012/1/6