がんと闘った科学者の記録

2021年7月24日

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「がんと闘った科学者の記録」戸塚洋二 文藝春秋

 

立花隆が自らのがんを公表した後に、この本の著者、戸塚洋二氏が連絡をくれたという。戸塚氏は、ニュートリノ観測によりノーベル賞が確実視されていた物理学者なのだが、あるとき、突然、全ての職を辞めて学会から去ってしまった。周囲に尋ねても、なぜなのかさっぱりわからないと言われていたのだが、実はがん闘病中であった、と教えられる。立花氏に連絡があった時点で、がんは脳に転移し、意識が混濁して倒れたこともあった後であったという。だが、その後で、戸塚氏と立花氏は雑誌「文藝春秋」上で「がん宣言『余命十九ヶ月の記録』」という対談を行っている。まだもうしばらくは大丈夫だと思っていたのに、その一ヶ月後にはお亡くなりになってしまったので、もっと突っ込んだ話をしておけばよかった、と立花氏は悔やんでいる。
 
がんと闘いながら、彼は科学者らしく、様々なデータを分析し、病状や薬の効果などをグラフ化し、自らのブログに記録し続けていた。がんを見た目で判断する医師のやり方に疑問を持ち、自分のがんのCT写真からその大きさを計測し、がん細胞の成長曲線を描いて予後を推定したり、そこに抗がん剤の服用期間を書き入れて効果を測ったりしていた。脳に転移して、幻視が現れると、右脳で見ている幻視を左脳が興味を持ってそれを見る、という体験もしている。
 
その一方で、これまでの自分の人生や、宗教に関わる読書、思考を深めたり、身近な植物を観察し、自然を愛おしんだり、同じ病に苦しむ人の悩みに親身に答えたりもしている。クールでシャープで、最後まで、恥ずかしくない生き方をしようとしながら「私は弱い人間なので」と何度も書いてもある。
 
この本は、そんな戸塚氏が残したブログを立花隆氏が編集して出版したものである。戸塚氏の凄さと、それをすくい取って一冊の本にした立花氏の仕事に、心から敬意を表したい。
 
最後に戸塚氏が亡くなるのがわかっていたので、読み終えるのが怖くて時間がかかってしまった。亡くなる五日ほど前まで、しっかりとしたブログの文体であった。生きていれば、ノーベル賞は確実だっただろうに、残念なことである。

2020/7/24