アイヌ学入門

2021年7月24日

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「アイヌ学入門」瀬川拓郎 講談社現代新書

 

この夏に礼文島に旅行した時、礼文町郷土資料館を見学した。オホーツク文化圏や縄文遺跡、石器など興味深い展示がたくさんあった。そんなこともあって、夫が図書館から借りてきたのがこの本である。なんだか硬そう・・・と思ったが、そんなことはなく、極めて興味深く面白く目が開ける思いの本であった。
 
私は子供の頃、二年間ほど札幌に暮らしたことがある。そのときに北海道にはアイヌと呼ばれる人達がいる、ということは知ったが、ただそれだけで、観光地でクマのお祭りを見せてくれるとか、唇のあたりでびよーん、びよーんと鳴らす楽器を演奏する、とかそんな断片的な知識しか持たなかった。どこか遠い話のように感じていた。
 
私たちの習う日本史は、大和朝廷、奈良や京都の都を中心とした物語から鎌倉、江戸へと変転していく。その途中には坂上田村麻呂とか阿倍比羅夫なんかも登場するには登場するが、さらっと語られるにとどまっている。だが、太古の昔から、北海道にはアイヌがいたし、彼らには彼らの歴史があった。それもまた、私たちの日本の歴史なのだ。
 
アイヌに古くから口承されてきた言い伝えの元をたどり辿って行くと、なんと古代ローマプリニウスの博物誌に行き着くというのに驚いてしまう。コロボックルの伝説は、博物誌の記載に同じモチーフがある。
 
私たちの知っている元寇は、嵐で元軍をやっつけたという勇ましいものであったが、北海道近辺も元は襲っていたという。何度も何度もやってきて、最終的には和議を結んだなんてこと、全然知らなかった。中国や、オホーツク海域からアイヌは世界にもつながっていて、沈黙交易という方法で、いろいろな物資のやり取りがあったのだ。シルクロードの行き着く先は、正倉院だけではなかったのだ。
 
北海道には砂金を算出するところが多くあって、実はアイヌたちは黄金を採取していた。それが、奥州藤原氏の栄華とも密接につながっているらしい。現に、中尊寺金色堂に使われた金の成分が、あきらかに北海道で算出されたものであったりするのだ。黄金の国、ジパングのうわさ話は、中国とアイヌたちの交易から遠くヨーロッパにまで広まったものである、というのもあながち嘘ではなさそうだ。
 
アイヌたちの多くが滅んでしまったのは、和人が持ち込んだ麻疹や疱瘡が大きな原因だったようだ。疱瘡を避けるためのいろいろな呪術も残されているという。
 
なんだか目からうろこがぼろぼろ落ちてくるような話の連続である。世界は昔から、思ったより狭かったんだな、なんて感心してしまった。

2015/11/18