またたび

またたび

8 伊藤比呂美 中央公論社

旅のお供二冊目は伊藤比呂美である。絶対面白い、信頼の伊藤比呂美である。2000年に出された本の文庫化。どんだけ昔なんだい、と思いながら読み始める。おお、伊藤さん若い。上の子ですらまだ中学生、一番下は幼児。イギリス人の連れ合いを追っかけてロサンゼルスへ引っ越して移民生活が始まったばかりだ。ほぼ四半世紀前だなあ。

移民生活における食にまつわるあれこれの話である。詩人だけあって、食べ物の描写が素晴らしい。例えばロスの日本食品店で買ったあきたこまちの新米。

読むだけで口の中に新米の味と香りが充満するようである。歯ざわり、飲み込む感覚がよみがえるようである。こんな感じで全編、食べ物の話が満ちていて、だんだんお腹が空いてくる。

食べ物の話だけでなく、それが生活や人生にもかかわってくる。アメリカの教育は面白い。中一の娘は世界史の宿題で、中世ローマの農奴の食生活の実践を求められる。食べていいのは「パン、米、卵、肉、アンズ、リンゴ、ナシ、牛乳、チーズ、ミートパイとアップルパイ、バター、リーク、玉ねぎ、にんじん、えんどう豆、パセリ、ビーフとチキンのスープ。ただし塩は裕福な人しか使えない。香辛料はタイムだけ。砂糖不可。ハチミツは可。サンドイッチはこの時代まだ発明されていない。」

これで一週間、過ごしてみるといろんなことがわかる。じゃがいもとトウモロコシとさつまいもとチリとかぼちゃとバニラとチョコレートは新大陸原産なので、コロンブス以前はヨーロッパになかったわけだ。昔の農家はかまどが壁にあって、それで部屋も暖めれば煮炊きもできる。じっくり、とろとろの料理はできるが、ジャーっと炒めるような強い火力はない。だからチャーハンやチンジャオロースーはダメ。

比呂美さんは日本語教師の仕事も少しする。生徒に「ミリンとサケはどう違うのか」と尋ねられて、アルコール飲料をこっそり教室に持ち込んで生徒たちに味見させる。ジャパニーズレストランでテンプラを食べた生徒が「スクワッシュ(瓜)のようで、見たことのない黄色で少し甘くて、クリーミーで、夢のようにうまかった。あれはなんですか」と聞く。それは、カボチャである。日本のかぼちゃは、もはや原産アメリカのものと全然違っている。それで、課外授業で日本食パーティを行う。

そんな風に、移民生活の食が、生き生きと語られる。別に元気なだけでなく、打ちひしがれたり、愚痴っぽかったり、うんざりしたりしながら。生きるってそういうことだものね。食べることは生きることだし、生きることは感じること、表現すること、伝えあうことでもある。なんかすごく豊かな時間を貰ったような、良い本であった。