やせれば美人

やせれば美人

2021年7月24日

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「やせれば美人」高橋秀実 新潮文庫

 

 

「損したくないニッポン人」以来の高橋秀実である。以来、というのは私の読んだ順番でしかなくて、実際には十年前に書かれたものである。

高橋秀実と言えば、傍若無人な妻にあれこれ言われながら頭が上がらないのが芸風だが、十年前はまだそれが練り上げられる過程だったのだのだなあと思う。努力せずに、汗を流さずに、たまたまであったダイエット法である日突然痩せたい、と主張してやまない妻が、ちょっとやり過ぎ感があって、なんだかなあ・・・と思わずにはいられないのだ。妻の太り方の描写など、容赦なさすぎてかえって気の毒に思えてくる。この頃から比べると、妻にやられる芸風は今じゃもっと洗練されてるぞ、と思う。

それはともかく。女性はダイエットに弱い。雑誌でダイエットを特集すれば売れる。テレビでこれさえ食べれば痩せるというと翌日のスーパーでその食品は売り切れる。痩せたい痩せたいと誰もがいい、痩せさえすれば私はもっと美人なのに、とみなが密かに思っている・・・らしい。

自ら「ダイエットのセミプロ」「歩くダイエット」と称する女性がこの本に登場する。

「私たちは偏差値世代です。自分の尺度じゃなくて、マスコミなど外から与えられる尺度で自分を測ろうとします。“やせてる子がいい”と言われると、合わせてしまうんです。それで、周りの女の子と比べて争いになるんです。自分を信じれる人はやせたがったりしません。自分のない人、自信のない人がダイエットに走るんです」

という彼女の意見は核心をついている。が、その後こんな風に展開する。

彼女は自己分析して反省し、「自分の尺度がない」からダイエットを続けなければならない、とその正当性を力説した。

え?そこまで気がついていて、なぜダイエットを続けなければならない方向に進む?と私は不思議である。

ーじゃ、みんなデブならいいんですね?

という高橋秀実の問に、彼女は

「そうです。でも必ず、抜けがけする人が現れるんです。」

と答える。そして、最終的に、次々現れる新しいダイエット法に

「また騙されてやろう!と思います」
「だって、いままでもずっと騙され続けてきましたからね」

という。そして彼女と妻はおおらかに笑うのであるが、なんだか私は暗澹としてしまう。他者との比較においてしか自分の立ち位置を確認できないこと、自分の尺度がないことに気づいていながら、自己を確立しようという方向には向かわずにダイエットの必然性に行き着いてしまう思考経路。それって現代の病理なのか。

私自身はどちらかというと痩せ型である。解説で、中野翠が同じように痩せ型であると書いてから、そう書くことに危険を犯す気分だと述べている。そう、自ら痩せているなどと書くと反発を買いそうな気がする。

だけど、私の場合は血糖値が高くて炭水化物の摂取に大いなる注意が必要で、かつ、体力を落とさないためにある程度の体重を保つべきだと病院で指摘されて、何をどのように食べて体重を保つかが非常に難しい。痩せているからと言って好きなものをじゃんじゃん食べられるわけではまったくない。おおらかに太れる人がむしろ羨ましい。(あ、さらに反感を買いそうな・・・。)

やせれば美人だ、と信じつつ、「でも、今はまだ太っているからしょうがない」と考えられるのは、ある意味非常に幸せな状態である。そして、ダイエット法に注意を注ぎつつ、でも努力なんてかっこ悪いし、いつの間にか痩せていた、ってのが理想よね・・と夢想して生きているのが、実は最も幸せなのかもしれない。

            (引用は「やせれば美人」高橋秀実 より)

2017/5/4