もう「はい」としか言えない

もう「はい」としか言えない

2021年7月24日

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「もう「はい」としか言えない」松尾スズキ 文藝春秋

浮気がバレた。妻の報復は3つ。仕事場(浮気する場所)の解約、今後二年間、一時間おきに背景も含めた自撮りの写メを送る。毎日、妻と丁寧にセックスをする。でなければ、裁判で離婚する、すべてを暴露する。

主人公は松尾スズキの分身みたいな人間で、つまり、ある程度は顔の売れている俳優というか演出家というかであって、浮気の事実がバレると仕事的にもやばいのである。そして、何より本人が離婚を望んでいない。一回離婚してすご~く懲りているのだ。というわけで、この報復措置を受け入れるのだが、疲れ果てる。疲れ果てたところへ、胡散臭い賞の授賞式のためパリへ一週間行くという話が転がり込み、誘いに乗る。そこから物語が始まる。

もう、設定自体がブラックコメディというか、笑うしかない状態にある。でも、なんか重苦しいというか、鬱陶しい笑いである。そして、事態はさらに鬱陶しくなっていく。栗原類くんを彷彿とさせる男の子なんかも絡んで。

浮気症の男って大変だよなあ、と思う。「火環」に出てくる仕立て屋の男は、親方の女房を盗んで駆け落ちしたくせに、顧客に女性が来ると、寸法を測りながら、すぐに手を出してしまう。それがどんな結果を呼ぶかなんて考える前に、だ。

「雪の夜道を」によると「時間ですよ!」の久世光彦は、スタジオ見学に来ていた女子高校生に手を出して妊娠させ、離婚してその子と結婚したのだが、急逝後に六歳の隠し子がいたことがわかる。その元女子高生と住んでいた自宅と線路を挟んでちょうど同じ距離に、別の女性を住まわせていたのだ。死後に出された彼のエッセイ本には、その他にも妊娠させちゃった人妻の話とか出てるし、こういう人は、物を考える前に手を出してしまうのだな、と思う。

ジャレド・ダイアモンドに言わせりゃ、それが遺伝子の戦略なんだろうが、難儀なことである。これって、もう、理性とかなんとか言う前に、勝手に自分を乗り物にした遺伝子に動かれちゃって、あれよあれよってことなんだろうか。若い頃は、そういう男を見ると嫌悪感しかなかったが、これくらいおばちゃんになると、哀れと思えてくる。

そういう哀れな男の話なんだな、と思って読むと、もう、苦笑いしかないね。これ、芥川賞の候補作だったらしいが、同じような遺伝子の持ち主が読んだら、胸をキリキリ引き裂かれながらぐふぐふ笑うんだろう、と思う。女性にもいるかも。女性にだって、そういう遺伝子があるのかもしれないしね。でも、私にはわからない、やっぱり。

もう一遍短編が入っていて、こちらの「神様ノイローゼ」も肥大化した自意識を見せられる露悪的な小説だった。笑えるんだけれど、苦いものがある。もう、こういうのいらないんだけどな、とつい思ってしまった。松尾スズキを愉しむほど、私は若くないのかもしれない。

2018/9/25