たちどまって考える

たちどまって考える

2021年7月24日

181

「たちどまって考える」ヤマザキマリ 中公新書ラクレ

ヤマザキマリは漫画家であるが、一方では「ヴィオラ母さん」「リスボン日記」などのような文筆活動も行っている。これは、その一冊。

コロナのせいで夫のいるイタリアに戻れなくなったヤマザキマリが日本に滞在し続けながら、何を考え、何をしているかが描かれている。常にいろいろな場所に移動し続けたい彼女が家にこもり「たまって」いることも伺える。というか、わかるわかる、なのである。私も常にどこかに移動し、旅をし、誰かと会っていたい性分なのに、ここ一年以上、ずっと引きこもって気が狂いそうなのは同じなのである。

ヤマザキマリは、そこで、若い頃に見ただけですっかりわかったつもりになっていた映画を見たりしている。うーん、これは名案である。同じ本でも、若い頃にサラッと読んだのと今とでは、ぜんぜん違う感想が湧き上がってきたりするものだものね。映画だって、若かったらこんなにショックは受けなかっただろうなあ、という映画に打ちのめされてしまったりする。私も、やろう。と思うのだが、なかなか出来ていない。

それから、この本ではイタリアと日本の比較が種々行われている。イタリアがいい、日本がいい、では無く。それぞれの優れたところ、足りないところを見ながら、ヤマザキマリは、自分が何を考えたのか、何を求めているのか、をたちどまって、考えている。こうすべきだとか、こうあるべきだですら無く、私はこうしてきた、こう思う、と書いてある。そこがすっきりと気持ち良い。自分の足で歩いてきた人にしか書けないものがある、と感じる。

なかなか旅にも出られないものね。私も、この状況下で、たちどまってよく考えよう、と思う。誰かに説教するわけでもなく、自己嫌悪に打ちひしがれるでもなく。これから、どうやって生きていくか、しっかり考える時間と場所をもらった、と思うようにしていこう。

2021/3/22