ヴィオラ母さん

ヴィオラ母さん

2021年7月24日

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「ヴィオラ母さん 私を育てた破天荒な母・リョウコヤマザキマリ 文藝春秋

「リスボン日記」以来のヤマザキマリである。この本については彼女自身がラジオ番組の中で喋っていた。ヤマザキマリの母親は、マリを生んですぐに夫をなくし、女手一つでヴィオラ奏者としてマリと、後に短い結婚生活を送る再婚相手の子供・・・マリの妹を育て上げたグレイトマザーである。

北海道の片隅で、オーケストラの一員としてヴィオラを弾き、あちこちを演奏旅行しながら、子供を二人育てる。それはもう、無理せずには不可能なことである。マリは小さな頃から、母の演奏旅行のたびに知り合いの家に預けられたり、あるいは妹と二人で留守番したりして過ごした。お金は常に足りず、パンにマーガリンと砂糖を塗っただけや、茹でとうもろこし二本だけの弁当を持たされもした。それでも、愛情とバイタリティに溢れた素晴らしい母だった、という。たしかに。

ただ、今の標準からいうと、この子育ては、きっと虐待、放置として扱われて非難の対象になったんだろうと思う。子どもたちにも、相当の負荷のかかる子育てだっただろうと思われる。結果、17歳で単身イタリアに渡り、すぐに現地の詩人と同棲し、後に未婚の母として帰国し、息子が13歳の時に13再年下のイタリア人男性と結婚するヤマザキマリという人が出来上がった。それが成功か失敗かは受け取る人によって違うのかもしれない。が、少なくとも今現在を生きているヤマザキマリは、創作力旺盛で、パワフルで、幸せそうに見える。そして、楽しい作品を次々と生み出している。私は、彼女が好きだ。

だから、子育てなんて一つの価値観だけで測れないよな、と思うし、何が幸せで何が不幸かなんて誰にも決められないよな、と思う。うちの子、親の言うことを全然聞かないんです、なんて苛ついている親御さんに、いや、そのうち大成するかもよ、なんて行ったら怒られるだろうけれど、ほんと、最後まで見てみないと、何が幸せかなんて決められないのよ、と思う。

2019/8/17