14歳からの哲学入門

2021年7月24日

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「14歳からの哲学入門 「今」を生きるためのテキスト」飲茶 二見書房

「史上最強の哲学入門」の飲茶による14歳をターゲットにした哲学本。でも、実際に14歳が読むと、結構、歯ごたえあるだろうなあ。あとがきで池田晶子の「14歳からの哲学」へのリスペクトが表明されていた。あの本も、良かったもんなあ・・・。

本書が伝えたいことは、すべての哲学は、十四歳レベルの発想、誤解を恐れずに言えば、「極端で幼稚な発想」から出来ているということ。どんな哲学書も難解そうに見えて、その「難解な部分(あらゆるツッコミを想定して専門家向けに厳密に書かれた部分)」を取っ払ってしまえば、根幹にあるのはこの程度のものに過ぎないということだ。
              (引用は「14歳からの哲学入門」飲茶 より)

これは本当にそのとおりだなあ、と思う。いくつかの哲学に関わる本を読んできて、いつも、「そんなこと、子供時代に考えたなあ」「そういえば、子供の頃から、それが疑問だった!」ということにばかりつきあたる。生きるということは、幼い頃から、基本的に大人と同じことではあるものね。

さて。この本は、合理主義、実存主義、構造主義、ポスト構造主義、とたどって、そのすべてが以前の哲学を否定するところからスタートしたことを説明している。そして、ポスト構造主義を否定する今、一体どんな哲学が成立し得るのか、について作者自身の意見を語っている。のだが、これが。うーむ。世界を救うのは、ニートだ!!的哲学なのである。なるほどねー。

宮田珠が、できることなら、何もしないで生きていたい、働かずに好きなことだけしていたい、めんどくさいは人間の四代欲望のひとつである、などと堂々公言していて、だよなー、と思ってはいた。が、そうか、哲学が、そこへ来たか!!と驚くのである。

先日、高校時代の友人とランチして、色々話した。夫の経営する会社の経理を担当している彼女には、定年というものがない。60歳になったら仕事から手をひこうと画策していたが、他社で働いていた長男が、夫のあとを継ぐべく帰ってきて、まだ新米でなんとか頑張っているのを見ると、こいつが一人前になるまでは、手を引くのは立場上まずいということになり、引退は遠のいてしまった。家に帰れば姑が待っていて、あの家事がまだ終わっていない、腰が痛いだのと言うから、それも全部やってやらねばならない、マッサージもせねばならない。朝は三人分の弁当を作らねばならない。(作らないと姑が「私が作るしかないわね」と作り、後で延々と文句を言われる。)早朝出勤の日も多く、その朝ごはんもすべて準備せねばならない。会社の仕事と家事とを寝る間も惜しんで毎日なんとか回しているだけで、ウン十年経ってしまって、これからもそうであろう、と思うと自分の人生とか生きがいとかを考えちゃうんだよね、という。

子どもが二人家を出てしまって、家事も二人分で全然大変じゃなくて、地方都市で通勤も全然大変じゃない夫とのんびり余暇を過ごす、ほぼ老後生活突入中の私は、その話を聞いて、申し訳ないような、まあ、それでも大変なことがないわけじゃないしなあ、などと言い訳めいたことをつぶやくような。なんてときに、この結論・・・と言うか、飲茶流の新哲学の取っ掛かりを読んでしまって、「そうか!働かない、という生き方こそが新しいのか!」なんて身につまされるのである。怠け者の私が、新哲学の騎手になれそう。ってか?でも、一笑に付すだけじゃ否定しきれないだけの哲学が、確かにある気はするんだなあ。友よ、君にもそんな哲学を捧げたい。

この本で、読書会開きたーい!!とまた、思っちゃった。どう?ダレかいないの?

2019/9/5