ゆんぼくん

2021年7月24日

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        「ゆんぼくん」 西原理恵子 竹書房

先日、おちびが熱を出した。久々である。このところ、部活に文化祭準備に試験勉強に振り回されてへとへとだったので、危ないな、とは思っていた。目付きがとろんとしていると思ったら、案の定、発熱であった。

テレビを見ていると疲れるし、難しい本も読めない。だけど、寝ているだけじゃつまんない。なにかない?という難しい注文に、もはや魔窟と化している本棚の奥を探しまわって発見したのが、「ゆんぼくん」全五巻。初版は1990年だから、あらら、息子が生まれた年だわ。そういえば、息子にも同じような状況で同じようなことを言われて、この本を探しだしたような記憶が。

なんだかんだで一日で読みきってしまったようだ。面白かった、と言っていたけれど、どんな内容だっけ、と私も読み返してみた。

うーむ。これを書いたサイバラは、まだ若かったはずだけれど。最初は、大して面白くもない下手くそなギャグマンガの体を見せ体たけれど、だんだんに叙情性と、毒のあるサイバラ特有のユーモアと、それに社会性も表れてきて。

驚いたのは、この段階で、彼女は原発を描いていた。そうなのだ。あの頃から、原発について私たちは心配していたのだ。だのに、力が足りなかったのだなあ、と改めて後悔の念に駆られる。

ゆんぼくんとともだちの横田くんをつれて、かあちゃんは秘密の場所に、水遊びに行く。子どもたちは大喜びで遊んでいるけれど、母ちゃんは心配そうな顔で「来られるかな ゆんぼが大きくなっても 来られるかなあ」とつぶやく。竹やぶの向うには、原発がそびえている・・・・。

横田くんは、不良に憧れているけれど、山奥の田舎では、マリファナはおろか、シンナーだって手に入らない。体にわるいものを吸うのが不良なのだ、と、横田くんは大量のイタドリをかじる。生のゼンマイを食べるのも体にすごーく悪い、と聞いてチャレンジする。

ちょっとゆっくりしているこいでくんは、かなり危ないお父さんと二人暮らしだ。ゆんぼくんや横田くんが友だちになってくれたのが、うれしくてうれしくて、それをどう表したらいいかわからない。横田くんも、こいでくんも、寂しい子どもなのだ。

ゆんぼくんには、ちょっといい加減でわがままだけど愛情にあふれたかあちゃんがいる。だから、ゆんぼは淋しくない。愛情に包まれているのが当たり前であるような、子どもらしい子どもである。


            みんなたのしい

「せみはちょっとしか生きられないから あんなに一生けんめいなくんだろ 
 かーちゃん  かわいそうだよねえ かーちゃん」
「ゆんぼは ゆんぼにうまれて しあわせかい?」
「うん」
「せみも せみにうまれて しあわせだよ たのしそーに ないてるじゃないか」

なんだか胸を打たれてしまった。これはひとつの哲学だ。どんな運命が定められていても、そうやって生まれてきたことはしあわせだ。そして、今を楽しんで生きていこう。そんな風に、私も考える。

            あいたいからまってる

「お前が3時に来るってゆうから おれはまってたんじゃないかあっ
 いいかっ 3時ってことはなっ おれはもう2時からたのしみなんだよっ
 2時半になってみろよっ もう そわそわしてるんだぜっ
 ところが 3じすぎたらどーだ 
 もう こないんじゃないか こないんじゃないかって・・・
 だから おれは時間をきめるのがいやなんだ・・・・」

「星の王子さま」を思い出させるような内容だ。これを言ったのは、横田くんだ。不良になりたいと願うこの男の子の胸の中にあるさびしさを思うと、私は胸がつまる。私も、人を待つのが怖いばっかりに、約束しないほうがいいのではないかと思う頃があった。まだ小さいと思っている少年の中にだって、こんな寂しさはしっかりと根付いていたりするのだ。

           引用はすべて「「ゆんぼくん」西原理恵子  より

2011/11/2