れるられる

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2021年7月24日

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「れるられる」 最相葉月 岩波書店

「セラピスト」以来の最相葉月さんの作品である。彼女の作品は、いつもこころの深いところに沈み込み、しばらくは沈殿している。何かを考え始めるには少し時間が必要な作品が多い。ただ、彼女の誠実さだけがまずは印象に残る。

この本は、人の受動と能動が転換するその境目を扱っている。

生む・生まれる
支える・支えられる
狂う・狂わされる
絶つ・絶たれる
聞く・聞かれる
愛する・愛される

こちら側にいると思っていたのに、実はあちら側にいたことに気付かされることがある、と筆者は「はじめに」の中で指摘している。それは紙一重だったのだ、と。

たとえば一章では、障害の出生前診断やAIDの問題を扱っている。医療技術が進歩して、生む前に胎児の様々な情報がわかってしまうことは、本当にしあわせなのか。私にはどうしてもわからない。また、他人の精子を使っての人工授精で生まれた子が、自分は誰の子なのかが永遠にわからないという事実に、愕然とする。将来何があっても病院には迷惑をかけないと誓約書を書かせて医者の立場を保護し、誓約書は五年後に焼き捨てて子どもに知られないようにし、子どもが歩き出したら受精した病院には近寄らないように指導したという初期のAIDは、そうして生まれた子供のアイデンティティの問題をまったく考えていない。自分の父親が誰なのかを一生わからずに生きるのが、どういうことなのか、医師は考えたことがなかったのだろうか。それを想像すると、私は途方に暮れてしまう。

今、私が当たり前に日々を過ごし、生きているということがどういうことなのか、私は考えこんでしまう。私が出生前診断を受けずに子どもたちを生んだことは、もしかしたらとてもしあわせなことだったのかもしれないと考えたりもする。そういえば、下の子を産むときは高齢出産だったので、羊水検査を勧められ、断ったのだった。断ることに、何のためらいもなかったその時の私に、今の私は不思議な思いも抱く。だが、それで良かったのだろうと思うのだ。

一つ一つのテーマが深く、重く、心の底に沈み込んでいる。そして、思いがけないときにそれが浮かび上がって、もう一度考え、また迷い、わからず、沈み込んでいく。そんなことを繰り返すような作品を、最相葉月は書き続けている。
2015/8/6