精神科医は腹の底で何を考えているか

精神科医は腹の底で何を考えているか

2021年7月24日

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「精神科医は腹の底で何を考えているか」 春日武彦 幻冬舎新書

 

どんなに医学が進んでも、結局、医者のできることなんて限られているんだよなあ、とつくづく思う。内科的な病気も、精神的な病気も同じだ。名医にかかったら治るというものでもないし、そもそもが治るってどういうことよ、と思う。人間が生まれてから死ぬまでの間の過程に、ちょっとしたアクセントを付けるくらいが関の山じゃないか、どうせ、いつかは死ぬんだし、とか、いきなりものすごくネガティブなことを考えてしまったりもする。
 
この本の最初の方に、中島らもが生前に服用していた処方内容が載せられている。らもはほぼ十年間、同じ処方を服用していたらしいが、筆者によれば、かなり重すぎる内容らしい。実際、彼は強い副作用で失禁やフラつき、目の調節障害があって、口述筆記になっていたという。薬物依存傾向の強かった彼は刑務所内で薬物が入手できないことに苦しんだらしいが、そうなってしまったのは漫然と強いクスリを出し続けた主治医の責任も大きいのだと思われる。
 
精神疾患の同じ症状に対して、つけられる疾病名も処方されるクスリも、精神科医によっては色々と違っているらしい。だとしても、結局のところは、症状をきちんと見極めること、処方したクスリが効果を表す事こそが大事なのであって、それが統合失調症なのか、神経症なのかを判別することは、さほど重要ではないらしい。そうか、まあ、そうだよなあ、と改めて思う。
 
同じクスリを処方してでさえ、名医と言われている医師が強い自信を持って与えるのと、なんとなく不安そうに信用ならない医師が与えるのとでは効果もぜんぜん違うらしい。そうなってくると、もう、医学って何よ、って思えてくる。でも、そうなんだろうなあ、と何処かですごく納得もする。
 
精神疾患が治ることってどういうことだろう、と改めて思う。たとえば、私は結構な高所恐怖症で、高いところでは全く精神的な安定を持つことができないのだが、それを治すってどういうことなのだろう。高い所へ平気で行けるようになることなのか、それとも、高いところはダメだという自分を受け入れて、まあ、それでいいや、と高いところに登らないように気をつけて生きることなのか、無理矢理でも高いところへ行って、大丈夫だ大丈夫だ私は元気よーっと高笑いするようになることなのか。高いところが平気な事こそが正常な状態で、それに合わせるのが治っていることになるのか。高所恐怖症をたとえば引きこもりに変えてみたら、同じことが言えるのか。などとえんえん考えてしまうが、もちろん結論は出ない。
 
というような迷路に迷い込んでしまうのが、この本の読後感である。
 

2014/6/1