エンピツ戦記

2021年7月24日

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「エンピツ戦記 誰も知らなかったスタジオジブリ」菅野仁美 中央公論社

 

スタジオジブリで27年間、動画チェック、動画検査を担当してきた菅野仁美がジブリの広報誌「熱風』に連載した原稿をまとめた本。
 
「思い出のマーニー」の完成後、ジブリの制作部門が解散になることが決まっていたため、ジブリに結集したユニークで優秀なアニメーターが散らばっていく前にジブリのメソッドと彼らの言葉をアーカイブとして残したい、と願った出版部の平林享子氏が企画と構成を担当し、鈴木敏夫プロデューサーが「『私は宮﨑駿のせいで結婚できませんでした』という書き出しで連載を始めてくれる?」と依頼したもの。筆者は「それを言うなら『私は宮﨑駿と鈴木敏夫のせいで結婚できませんでした』が正解です」と答えたという。
 
宮﨑駿という人は天才だが、天才ゆえに周囲は大変なことも多かったようだ。が、彼から学ぶことはあふれるようにあった。また、宮﨑駿は、人間として豊かで気遣いに溢れ、優しいフェミニストでもあった。ほかにも高畑勲、高坂希太郎など多くの才能に鍛えられ、学び、後輩を育成しながら数々のアニメーションを作っていった、その過程が描かれている。動画チェックの仕事はアニメーターと演出部や監督との板挟みになることが多く、基本、ダメ出しが仕事であるため、孤独で人に嫌なことを言わねばならないものであった。それを長きにわたり、見事にやり遂げた作者の人柄がしみじみと伝わってくる文章であった。
 
以前、群ようこが本の雑誌社で事務を担当していて、あこがれの椎名誠や沢野ひとしと仕事ができてなんて素敵!と思う人がいるかもしれないが、会社組織としてはどこも同じ、うんざりする仕事や物分りの悪い上司との日々なのである、というようなことを書いていた。この本も似たような側面はある。憧れのジブリの素敵なアニメを作る仕事であっても、思うように予定が進まなかったり、人間関係の軋轢やいざこざが起きたりもする。その中で仕事を完遂した喜びや、繰り返される日々がリアルに語られている。
 
私はそれほどアニメに思い入れがある方ではないが、それでもジブリの作品の多くを見ているし、今でもたまにTVアニメを見ている。アニメがどのように作られているのか、一つ一つの動きにどれだけの思いが込められているのかがわかって、なかなか興味深い本であった。
 
筆者はジブリを退職して、今は西荻窪にササユリカフェというカフェを開いている。お近くの人は、ぜひ。

2016/4/8