ブルマーの謎

ブルマーの謎

13 山本雄二 青弓社

「宮部みゆきが『本よみうり堂』でおすすめした本」で知った本。副題は「〈女子の身体〉と戦後日本」である。

ブルマーというのは、少し前の年代の女子学生が着用していた、体育着のボトムスのことである。そう、体の線にぴったりの、脚の付け根までしか長さのない、お尻の形丸出しの、例のあれである。私は転勤族だったので小中学校は何度も転校したが、密着型のぴったりブルマーは、北海道でも東京でも女子中学生の定番であった。もともと痩せっぽっちで棒切れみたいな体型だったので、ブルマー姿が恥ずかしいと思ったことはない。だが、裾からパンツがはみ出すのではないかとか、生理中などは経血がしみ出すのではないかなどという不安があったことはおぼえている。

あのスタイルの体育着は、ある時期から突然に全国に広まり、席捲し、そしてある時期に急激に排除された。我が家の子どもたちが中学生になったときは、すでに丈の長めのショートパンツが主流で、しかも娘のスクール水着は太ももの途中まで被い、トイレに行きやすいようにセパレートになったスタイルで、なんて良い時代になったのか!!と感動したのを覚えている。よく考えてみると、あの形のブルマーもスクール水着も相当セクハラ的な要素を含んだもののように思える。

急激に密着型ブルマーが排除されたのは、女子高生のブルセラ問題が起きて以降である。つまり、女子の身体に密着する体操着が性的な対象となることがあからさまに認知されたことが契機となっているようだ。ところで、では、なぜあのタイプのブルマーが急激に全国に普及したのか、それを調べ行くと、その背景にはオリンピックがあり、中体連という組織があり、そして繊維業社の営業努力があったことが明らかになっていく。また、密着型ブルマーは、女子のスカート下に履く二枚目の下着としての意味合い…見えても大丈夫なスカートの下のはき物としての意味合いも持つようになっていっていた。

そう、確かに中学生時代、スカートの下にブルマーを履くことで、私たちは多少大胆に走り回ったり高いところによじ登ったりをしていた。スカートの中を見られても、体操着履いてるからいいんだもんね、というエクスキューズである。それが本当に見られても良いものだったのかどうかは、今となってはどうにも怪しげなのではあるが。

シンガポールの日本人学校において、ブルマー強制問題という事件(?)が起きていたことがこの本で明らかにされている。同校では体育着が自由であったのに、1991年、新任体育教師が日本の中学で採用している密着型ブルマーが動きやすいのでこれに統一したいと主張し、93年にはほぼ大多数の生徒がブルマーを着用するようになった。さらにブルマー以外を規則違反としようとしたところ反発が起きた。女子たちが署名運動などで抵抗したが、認められなかった。これが新聞に取り上げられ、女子学生の体の一部を強制的に露出させるのはセクハラであり、またイスラム文化圏においてこの服装でランニングなどを行うのは現地の人たちの価値観を見下す行為にもなりかねない、と紛糾したという。

ブルマーの着用が、実は学校の求める「日本らしさ」と結びついているというこの本の考察は私には新鮮であった。全員が同じ体育着を着用するという統一感もそうだが、いわゆる純潔教育とも結びつく日本的女らしさ、恥じらいと従順の文化に繋がるものがあるというのは意外な視点である。確かにあの年頃の女子に、動きやすさも含めて個人の好みで体育着を選べと言われて密着型ブルマーを自ら進んで選ぶとはとても思えない。それは当時も今も世代を超えて同じであると思う。

誰も特に気にも留めていなかった、けれど多くの人が体験をしている出来事について振り返り、調査し、分析するということの深さ、難しさ、興味深さがこの本にはある。まだまだ見落としている様々な問題がきっと他にもあるのだろうなあと思えてならない。わたし自身も、子ども時代からを思い返し、辿ってみて、そうか、そう思ってたよなあ、という記憶がいくつも掘り返されて、面白かった。