ロック母

ロック母

2021年7月24日

「ロック母」角田光代

1992年から2006年までの短編集が一冊にまとめられている。
と、わかったのは、あとがきを読んだときだ。何も知らずに読み始めたので、なんとなく一編一編ごとに違った空気が流れていて、とらえどころが無い様に感じた。ああ、それで正解なのね、と後で思った。

最初におさめられている「ゆうべの神様」は、彼女が25歳のときの作品で、初めて芥川賞の候補になったそうだ。粗筋は
「ぐれた娘が家に火を放って逃亡する」
だ。もし受賞したら、TVでアナウンサーが粗筋を読むのだが、これで間違いないか、と電話で問われたそうだ。なんだかそれ、すっごいつまらない小説みたいじゃん、と彼女は思ったそうだ。笑ってしまった。

この小説集には、強引で自分勝手で気配りの出来ない親(父親である事が多いが、母親の場合もある)が頻繁に登場する。思い通りに行かないと、そこらじゅうのものを叩き壊したり、大音量で音楽を流したり、周囲の人間を殴り倒したり、と、要するにコドモみたいな親だ。その親元で育った主人公が、不安な思いで、なんだか自分を大事にし切れなくて、ぼんやりと生きていく状態、を綴ったものが多い。

いろいろなことを考えるのだけれど、人を好きになったり、学んだりもするのだけれど、根っこのところで、いつも、自分が大事な存在であると信じきることが出来なくて、でも、そういう状態でも、何とか生きている自分を認めてはいて、という、やや後ろ向きの前向きさ、という姿勢が角田さんの小説には多くて、たぶん、そこが私にはマッチする。

私は、結婚して、コドモもできて、誰かにとって大事な存在になることが出来て、そのおかげで、自分が大事だと今は信じることも出来ている。でも、基本は、もうちょっと後ろ向きの前向きであって、たとえばこれが、コドモが独立してしまって、夫に先立たれでもしたら、あっという間に後ろ向きに戻ってしまうのではないか、という不安がどこかにある。私のそういう部分が、角田さんに共鳴する。

この間、地元の近隣センターの祭りで、包丁を研いで貰った。指定時間に取りに行ったら、私の整理番号は80番で、もう90番台の包丁も幾つか出来上がっているのに、なぜか79番から90番までが、まだ研ぎ終わっていない。もう少しだと言うので、そこで待っていたら、89番のおばあちゃまが来た。私の番号を見せ、現状を説明して、一緒に待っていたら、彼女がいろいろ話してくる。

「いつも主人が研いでくれていたので、私は自分で研げなくて。こんなところにでもお願いしないと、包丁がどんどんなまくらになるのよ。」
「何でもできる人でした。大工仕事でも、壁塗りでも、植木の手入れでも、なんでもしてくれたのに、主人が亡くなったら、庭もぼうぼうだし、包丁も切れなくなるし。」
「優しい人でした。私、大声をあげられたことなんて、一度も無いのよ。穏やかで、いろいろなことを教えてくれて。」
「ご主人が生きていらっしゃるのに、もう、邪魔で邪魔で、なんていう方も多いのよね。私は一度もそんなことを思ったことがなかったのに。もう、四年もたつのに、まだ、信じられなくて、寂しくて。」
と、涙をぬぐっている。

「でも、お幸せだったんですね。そんなにいい思い出を残してくれて、良いご主人と結婚生活を送られて、素敵な人生じゃないですか。」と言うと、
「そう、私、幸せでした。」
ああ、弱いところを付いてしまったらしく、彼女の涙は止まらない。きっと、誰かに話したいんだろう、家でひとりで過ごしていると寂しくて、夫の思い出ばかり辿っているのだろう。

包丁を待っている間くらい、聞こうじゃないの、と彼女の夫の思い出話、延々と聞きました。聞いた挙句、なぜか私より早く彼女の包丁が仕上がって、「では、お先に」と深々とを頭を下げられて、行かれちゃった。退屈しきったおちびがふくれてるし、包丁はなかなか出来ないし、少々困った。

帰宅して、夫にその話をした。幸せな思い出があるってのはいいことだよね、と言ったのだけど、「でも、それって後ろ向きじゃない。昔を振り返って過ごすより、今、自分が面白いものを見つけて、それを楽しんだ方がいい気がする」と、彼は、あくまでも前向きだ。こいつは、私に先立たれても、しょぼくれずに生きていくクチだわ。

私は、89番のおばあちゃまが、将来の自分みたいに思えて、多少面倒臭くても、話を聞いていたかった。きっと私も、後ろ向き加減の前向きが精一杯の老人になるような気がする。

2007/9/18