幸子さんと私

幸子さんと私

2021年7月24日

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「幸子さんと私ある母娘の症例中山千夏 創出版

学生時代、雑誌「話の特集」を愛読していた私にとって、中山千夏はなんというか、青春の仲間の一人である。上野末広亭に彼女や永六輔や矢崎泰久、小沢昭一らの話を聞きに行ったことも何度かある。それから私は結婚したが、新婚当時住んでいた仙台の死刑廃止運動のシンポジウムに彼女が来て、話を聞きに行ったこともあった。死刑について初めて考えたのがその日だったのを覚えている。また、彼女のいくつかの著書を学生時代から読んでいたが、平易な、ありふれた一人の人間として考えながら書かれた文章に好感を持ったものだった。賢く鋭い思考をするというよりは、嘘をつかずに生きていこうと不器用ながらに試行錯誤している人だと感じていた。

その中山千夏が、母親とこんな確執を抱えて生きていたとは。佐野洋子の「シズコさん」や中島梓の「転移」を思い出してしまった。

母親が亡くなり、本人が60歳を超えて、ようやくこの本は書かれたのだ。佐野さんは「シズコさん」に間に合ったが、中島梓は、母親との物語を書くと約束したまま、果たせずに亡くなった。これほどまでに、母娘の問題は根深いのかと改めて嘆息してしまう。

べったりと娘におぶさる母親。娘を支配しながら、「それを選んだのは貴女自身であり、その選択のために、私は犠牲になり、苦労した」という物語が作り上げられる。

母と息子の物語は早くからマザーコンプレックスという言葉で規定され、知られていた。だが、母と娘の関係を表す言葉はなく、それがどれほどに深刻なものであるかは未だ社会的に大きく認知はされていない。ただ、このごろは「毒になる母」「墓守娘」などの言葉がチラホラとささやかれるようになった程度だ。この問題は、いつの日かもっと掘り下げられるだろうし、そうあるべきなのだと思う。私もまた、娘を持つ母親のひとりとして、我が身を振り返る責任を忘れてはならない。

それにしても、何事も全て他者のせいであり、自分は常に被害者、受難者であるというストーリーを作りたがる人というのは、どこにでもいるものだ。自分で責任を取るということができず、恥や過ちを引き受けることができない。それは結局、自分という存在に絶対に満足できず、満たされず、安心することができないからなのだ。そして、「駄目なところもある自分」をありのままに認める勇気がないということなのだ。

家族や夫婦や親子の関係は、ありふれているけれど、なんと難しい問題なのだろう。

2013/7/24