聖地巡礼

2021年7月24日

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「聖地巡礼」内田樹☓釈徹宗 東京書籍

人間というのは、移動しながらおしゃべりしていると突拍子もないことを思いつく、と内田センセイはおっしゃる。この本は、内田センセイが、「大阪アースダイバー」で水先案内人を努めた釈徹宗さんと、内田センセイの塾生たち巡礼部と一緒に大阪、京都、奈良、熊野の聖地を巡りながらしたおしゃべりを中心に作られている。

大阪天満宮、難波宮跡公園、生國魂神社、四天王寺。船岡山、千本ゑんま堂、鳥辺野、などなど。その辺りはわかるけれど、スペースALS-Dが含まれていたのには驚いた。思考能力や判断能力が健常のまま、全身の筋肉が不随になっていくALSという病気の甲谷さんと、彼を支える人々が住んでいるスペースである。内田センセイは、それを

周りのヘルパーの方たちが、彼の手足になって、目になって、耳になって、つまり彼の身体になるしかない。つまり、甲谷さんは脳で、他の方たちは彼の四肢である。甲谷さんは自分の身体を拡大して、空間や共同体そのものを身体として使っている。
(「聖地巡礼」内田樹☓釈徹宗 より引用)

と表現している。この関係性が、彼を中心としたスピリチュアルな空間を作り出しているというのだ。私は「スピリチュアル」という言葉があまり好きではないのだが、この場には実にふさわしい表現であると感じた。甲谷さんが求心力となって、人をつなげ、心を互いに通わせようとする空間を作り出していることがわかる。それは、ひとつの聖地であるのだろう。

巡礼のクライマックスである三輪山巡礼は、写真撮影も録音も禁止で、何があったのかを全然書いてくれていない。何があったんだろう。

この本で巡礼先には、行ったことがある場所も、行ったことがない場所もある。行ったことがある場所は、うん、分かる分かる、とも思うし、えー、そんなだったんだ、見落としてたなあ、と思うこともある。行っていない場所は、行ってみたくなる。とりわけ、三輪山は行きたくなったぞ。山はきつそうだけど。行かなくちゃ。

2013/9/6