原発プロパガンダ

原発プロパガンダ

2021年7月24日

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「原発プロパガンダ」本間龍 岩波新書

 

作者は、かつて博報堂に勤務していた人である。原発協賛の宣伝活動を一手に引き受けていた会社の内部にいただけあって、その情報、事実関係の確認、分析は詳細に渡り、説得力のあるものになっている。
 
戦後40年間、原発推進のために費やされた宣伝費用は、最低でも二兆四千億円に上るという。気の遠くなる金額である。それだけの金額をあらゆるメディアに投じることによって得られるものは、原発は安全不可欠であるという人々への刷り込みだけではない。巨大な広告費を常に投じておけば、原発に不都合な事実を報道すると、その広告が外され、スポンサーを失うという経営危機に対応して、メディアは及び腰となり、当り障りのない記事しか書けなくなるという効果を及ぼす。恫喝を直接的に行わなくても、広報局に撤退をさり気なく匂わすだけで社内で編集局への圧力が自動的にかかり、自主規制をよそおった言論規制が可能となるのである。
 
実際に、電力会社各社がいかにニュース番組、報道番組のスポンサーを網羅し、言論統制を図ってきたかが詳しい資料とともに提示されている。スリーマイルやチェルノブイリなどの事故が起きるたびに、宣伝広告費が跳ね上がってきた現実が明らかになる。
 
2011年3月11日まで派手に打ち上げられていた宣伝広告が、事故を受けて、どのように撤退し、なかったものとされ、そして、それらがどのように形を変え、じわじわと復活しているかが丁寧に説明されている。たった一回の原発事故で、十万人もの人々が故郷を追われ、今なお帰ることも出来ずにいる現実、多くの人が不幸のどん底に突き落とされた現実を省みることなく、安倍政権が原発再稼動を目指していることに、愕然としてしまう。
 
 
2011年3月11日まで、「原発は絶対安全で、事故は起こらない」とされていた宣伝は、いまや「放射線はちょっとだけなら全然安全だから、正しい知識を知ろう」になり、「風評被害を防ごう」へと変化していっている。
 
そうではないかと薄々感じていたことを、具体的な数字と事実で示されると、やっぱりな・・・と思いつつ、なんとも言えない絶望感に打ちひしがれてしまう。毎日のように様々なメディアから、「放射線の危険性を言うことは風評被害と結びつくし、自然界に存在する程度の放射線量で騒ぐことはなく、石化エネルギーに頼ることは温暖化を招くので現実としては原発は未だに必要なのである」と言われ続け、それに反論する発言は経営的事情から封じられ、刷り込まれた結果、あの時あれほどに怖いと思った原発を、我々は未だに廃棄することが出来ずにいる。
 
この世は、こうやって回っていくのか。こうやって破滅に向かうのか。喉元に大きな塊を飲み込んだような嫌な、苦しい思いにとらわれずにはいられない本であった。
 
でも、だからこそ読むべき本なのである。

2016/7/30