謎のアジア納豆

謎のアジア納豆

2021年7月24日

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謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉」高野秀行 新潮社

 

高野さん、ソマリランドに夢中なのかと思っていたら、その傍らでこんなこともやってたんだ。納豆の謎。十四年前、ミャンマーのカチン州のジャングルを歩いていて、疲れ果てて小さな村で食事を取ったら、出てきたのが白いご飯の生卵と納豆だったという。なんでこんなところで納豆が?と思いながら食べたその味は、まさに日本の納豆そのものだったそうだ。
 
我々日本人には、外国人に納豆を食べさせ、目を白黒させるのを見て喜ぶようなところがある。納豆は日本独特の食べ物だと信じて疑わないところが。だが、上述のように、ミャンマーでも納豆は食べられていた。では、納豆とはそもそもがどういう起源であり、どこで食べられているのか?と疑問を持った高野氏が、様々な場所に足を運び、実際に納豆作りを見、あるいは参加し、納豆の謎に迫った。それがこの本である。
 
日本の納豆製造業者による「全国納豆協同組合連合会」によれば、納豆とは、「煮た大豆の表面に納豆菌が増殖し、『納豆の糸』と言われる独特な粘質物ができるとともに、納豆特有の風味を生じた食品」だという。アジア各地で作られる納豆は、糸があまり引かなかったり、せんべいのように固められたものも多く、日本でいう「納豆」のカテゴリーにははいらないものも多いようだ。が、食べた味わいは、まさしく納豆であり、作る工程も、納豆なのである。つまり、日本でいう納豆は、大きな納豆文化の中のごく一部であるに過ぎない。
 
高野さんが実際に取材して回った限りでは、ミャンマーはもとより、ネパールにもブータンにもタイにも韓国にも納豆はあった。あまりにも当たり前にありすぎて、家庭でごく普通に作られていて、市場で売られさえしないほどなので気が付かなかった部分もあったほどだ。驚いたことに、藁で包んで丁寧に発行させなくても、そこら辺の葉っぱで包んでおけば、簡単にできちゃっているのである。納豆菌はどこにでもいるし、適度な温度と湿度さえあれば、OKなのである。ということは、どこが起源というよりも、大豆があれば、自然発生的に、あちこちで納豆が普通に作られちゃったとも考えられるのだ。
 
そればかりか、関西では食べられない、好まれないと言われている納豆だが、千利休が大名たちに振る舞った料理目録の中に納豆は何度も登場する。京都の山奥で納豆を作り続けている家もある。暖めねばできないはずなのに、岩手では雪納豆と言われる、雪の中に埋めて作る納豆さえも存在する・・・・。納豆は、実に奥が深いのである。
 
ただ納豆を作って食べて歩くだけなのに、本書は立派な文化人類学となっている。高野さんのこれまでの知識と経験が、人類と納豆との関係性を広く深い視野で考え理解することに大いに役立っているのがわかる。
 
食は人間の基本である。納豆という食材1つで、人間の文化を、歴史を振り返ることの興味深さ、面白さをこの本は十分に伝えている。高野さんは新しい境地に至ったのかも。素晴らしい。今後の納豆研究を続けて、中央アジアやヨーロッパ、アメリカ大陸にも踏み込んで新しい発見があったらもっと楽しいかも。あそこらへんにはないかなあ、納豆。

2016/7/16