転移

2021年7月24日

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「転移」 中島梓 朝日新聞出版

以前に読んだ「ガン病棟のピーターラビット」の続編に当たる。亡くなる直前までの日記だ。
前作で、癌になったことを前向きに捉えていた作者は、ここでも、癌について、それほどネガティブではない。それでも、もう少し生きたい、愛する人を残して死ぬのは辛いという記述が見て取れる。

これまで生まれてきた人間はすべて死んでいったのだ。それをどうして、そんなにおそれ、拒むのだろう。「死んではならない。無名ではいけない。有名で金持ちで、健康で不死でなくてはならない」と云わぬばかりの、なんといったらいいか西洋文明の「人間至上主義」といったものが、私には恐ろしい。いつも私の頭のなかには、風のようにふっと亡くなっていった藤井宗哲さんの姿がある。それでいいではないかー何もくやむことのない一生。それが60年だったとして、何をおそれたり拒否したりすることがあろう。60年「も」生きてこられたのだ。愛する人を置いていくのは辛いが、どうせいずれは遅かれ早かれそうなるのだ。ガンならガンでかまわない。というより、「いまの私」というのは「ガンをかかえた私」なのだ。それを否定しようとは思わないし、何がなんでもそれをなくしてやりたい、とも最近思わない。

(引用は「転移」より)

非常に体調の悪い日々でも、実に長い日記が記されている。食べたもの、着た着物、やったこと、会ったひとなど。そして、ぎりぎりまで、大量に執筆し、ライブ活動(ジャズピアノなど)も行っている。本当に、エネルギッシュな人なのだ。

それにしても、驚きだったのは、そんなパワフルな彼女が、過食症を病み、団欒の場での飲食を苦手としていたという事実を知ったことだ。ちらりとしか書いていないが、何でもしてもらうこと、与えられることだけが幸せだと認識している母親との関係に、その原因を彼女は見つけていたようだ。一人で美味しい物を食べると、母がいたら、あらいいわね、一口ちょうだいと言われるだろう、と想像して、もう食べることに罪悪感を感じてしまう、という記述もあった。寝たきりの障害を持つ弟の世話のため、つねにお手伝いさんが家庭にいて、あの人が居なくなると私が困るから、逆らってはダメ、と母親に厳命されていた子ども時代のことも書かれている。ある編集者と、母親との葛藤についての純文学を書く約束をしていたそうだ。けれど、それも、もう必要ないのかもしれない、と書いてある。癌になったことで、いろいろなことが分かったから、と。

佐野洋子さんと同じように、中島さんにも、中島さんの「シズコさん」物語があったのだなあ、と思う。事程左様に、親子関係はむずかしい。母娘関係は複雑だ。その事に、私は胸打たれずにはいられない。

それにしても、中島さんが、徳永さんの診療所に、もし居たとしたら、もう少し苦しまずに、快適に最後の日々を過ごせたのではないか、と考えてしまう。睡眠薬や鎮痛剤をもっと上手に使うことができたら、苦痛とここまで戦わずに過ごせただろうに、と。

亡くなる直前の最後の日記は、途中までの日付と、「ま」という文字、そして改行記号だけが記されている。それは、「まだ書きたい」の「ま」だったのかもしれない。

2011/5/12