ガン病棟のピーターラビット

「ガン病棟のピーターラビット」 中島梓

 ものすごく著作数が多いけれど、私はこの方のあまり良い読者ではありません。覚えがあるのは、ほんの数冊。「息子に夢中!」を、単なる育児モノとして読んだのと、「グイン・サーガ」を、最初の二、三冊だけつきあったくらいです。それから、ごく最近、「翼あるもの」がジュリーのリスペクト小説だと聞いて読んでみたら、とんでもない耽美的・・といえばいいのか、びっくりするような内容で、お遊びも過ぎるんじゃないか、と思ったりしました。そうそう、それに、「アマゾネスのように」という乳がんになったときの体験記。まだ、お子さんが小さいときの話なので、お子さんへの遺書に、「あなたが日本一、世界一、宇宙一好きです」と書いてあるのを読んで、ああ、そうだよなあ、私もきっと同じことを書くだろうなあ、と思ったのを、覚えています。

 「グイン・サーガ」が100巻を超えてるらしい、というのは知識として知っていて、すげーなー、どこまで行くんだ、と思っていたら、どうやらガンで闘病中らしい、それも以前の乳がんとは別の・・・と知って、ちょっと驚きました。おいおい、グインはどうなっちゃうんだい、と読んでもいないくせに気になって、この「ガン病棟のピーターラビット」に、手を出したというわけです。

読んでみたら、なんだか文体が変わってしまったように感じます。やけに静かに、穏やかに、そして、どこか他人行儀な文章でした。内容は、たいへんなことばかりです。皮膚の異常から始まって、胆管ガンの疑いが、すい臓ガンとなり、入院、手術、術後の生活、そして、退院・・・あとがきでは、転移と抗がん剤治療の話も出てきます。でも、本人は、きわめて冷静ではあります。

私は結局、三六歳で乳ガンになりつつも、「自分が死ぬ」なんてまったく思わなかったので、結局五五歳まで、ずいぶんと傲慢に、「当然のこと」として、生きて来ちゃったんですねえ。でも、だから、いま気付くことが出来てよかったと思うしーその意味では、そうですね、はっきり云ってしまいましょう。私は、ガンになったことがそれほど嫌いではありません。さらに大胆に言い切るならば「ガンになってよかったのかもしれない」と思っています。それによって、私はものすごく沢山のことを学んだのだし、生きている、ということが、私にとってはそれこそ、「当たり前のこと」じゃなくなり、とても芳醇な色濃い、めまいのするほど素晴らしいことになったのだから。もとからそうでしたけれど、さらに。
(「ガン病棟のピーターラビット」中島梓 より引用)

ガンで余命宣告されたら、うつ病がパーッとどっかに行っちゃったと佐野洋子さんも「役に立たない日々」で書いていらしたけど、中島梓さんも、似たような心境をお持ちなのね・・と思いました。私には想像を絶する世界なのだけれど、それは、まだまだ私が生にしがみつく未熟者だからなのでしょうか。

この体験で、余計なものがそぎ落とされた、と書かれているのは、とてもよくわかりました。私は、私だったらどうなのかな、と考えてみています。そぎ落とす余計なものって、何なんだろう。

2009/2/6