日本人の〈原罪〉

日本人の〈原罪〉

2021年7月24日

「日本人の〈原罪〉」 北山修+橋本雅之

思いのほかに面白かった本。最初は、どうなるかと思ったけど。
北山修と言えば、「帰ってきたヨッパライ」「戦争を知らない子どもたち」を思い出す。中学のときに、なぜか他のクラスの男子から、この人の詩集をもらったりしたなあ。うっふっふ。
橋本さんは、国文学、神話学の人です。

鶴の恩返しや、イザナギイザナミの神話のように、「決して見ないでくださいね」とお願いされたのに、見てしまった結果、見られた方がその恥に耐え切れず、去っていく、逃げていく、あるいは、追いやられる・・みたいなパターンがあるでしょう。その「見るなの禁止」が、この本のキーワードです。

本来、禁止されていることをやっちゃった方が悪いはずなのに、一方的に、見られた方が、恥ずかしいと感じて、その場からいなくなり、だめよと言われながら見ちゃった側の罪の意識、反省は全く行われずに曖昧化され、あるいは禊を経て、水に流され、なかったことにされる。さらには、ひどい目にあった・・・と、本来、加害者の側であったにもかかわらず、最終的に被害者的立場に転換していく、そのパターンに潜む、日本人の原罪を明らかにしていくのが、テーマです。

単純な捉え方のように感じていたのだけど、ここまで分析されると、だんだん興味がぐいぐい引っ張られて、いや、お見事です。読んでいて、おお、ここが大事なとこね、と思わずしおりを挟んだら、同じ部分が後書きで再度抽出されていて、だよねだよね、と、うなったのでした。

いささか厳しい言い方をするならば、これらの神話や昔話が語っているのは、人間が自らの異類性を棚上げにして生きることの知恵、深刻な問題を掘り下げずに表層の安定を継続する知恵なのである。その意味において「見るなの禁止」を破ることは、まさしく人間社会の秩序を守る方法として機能し、そこには共同体としての日本の意識構造の核心を読み取ることができる。肯定的にとらえるならば、それは、この日本社会においてかなりの有効性を持ち成功を収めてきたとも言えよう。またそれは日本的な美意識にまで昇華されもした。しかし、これを批判的に見るならば、タブーを破った側の責任や〈罪悪感〉を曖昧にしてしまうシステムでもあると言えるのである。
(「日本人の〈原罪〉」 北山修+橋本雅之 より引用)

なんだかねえ、日本人の奥底に潜んでいる大きな問題を突きつけられたような気がします。その場をつくろって、きれいなところだけを見て、いやなところ、汚いところは無かったことにしよう、見ないようにしよう、水に流そう、そんなことを言い立てる必要は無いじゃないか、っていう思想。原罪を負う覚悟や責任が無い状態。

イザナギが、イザナミの元に、その汚さを受容した上で、留まればよかったんだ、と言うのはそうなのかもしれないけど。うーむ。これからの日本人が、どんな神話を作っていくんだろう、なんて考えてしまいました。

神話って、深いね。

2009/5/13