最後の角川春樹

最後の角川春樹

71 伊藤彰彦 毎日新聞出版

角川春樹という人物に、そもそもあまり興味はない。私は、もともとそんなに映画は見ない。ただ、文庫本には若いころからずっとお世話になっている。角川春樹とのつながりは、その程度だ。なんかいろんなことをやらかす人だな、という印象だけ。ただ、新聞書評が面白そうだったので読んでみる気になった。

角川春樹は、幼い頃に実母と引き裂かれて親子関係に苦労した点では堤清二に似ている。実際、堤清二とは共感しあう部分があったと書かれていて、ああやっぱり、と思った。

角川家はもともと富山の米問屋だったそうだ。歴史上の大事件、米騒動の時に相当の被害を受けたのかと思いきや、角川商店だけは打ちこわしにあわなかったという。主人である春樹の祖父が、日ごろから地元の人たちに利益還元を計ったり、被差別部落の人たちをできるだけ雇用するなど、周囲から感謝されていたかららしい。実際に史料を見ても、打ちこわしにあった店舗名に角川商店は載っていない。むしろ、周囲のライバル店がみんなやられてうちは儲かった、と祖父は言っていたという。

だが、その祖父の息子、春樹の父は米問屋を継がず、大学で出会った折口信夫に傾倒して故郷に戻らず、東京で学術書や事典、教科書を発行する角川書店を設立した。そのお堅い書店にエンタメを持ち込み、広告や映画とのコラボレーションを通じて大変革を起こしたのが春樹である。

何度も父親に勘当され、「お前は俺の本当の子ではないかもしれない」とまで言われ、死の直前まで確執のあった親子関係。そして、その父のお気に入りの次男、暦彦との決裂。六回の結婚。家庭には恵まれていない人だが、70歳で40歳下の女性と結婚して子供ができたという。

映画と文庫本をコラボさせ、文庫本に映画の割引券を栞として挟み込む。新人俳優を選び、主題歌をプロデュースし、テレビCMを大々的に打つ。編集者としては新しい作家を発掘し、それを映画とからませ、また、新シリーズを次々と打ち出す。映画のプロデュースもすればコピーも書き、ついには監督も務める。ハリウッドに進出を試みて資金関係で揉め、訴訟に持ち込んだあげくにコカイン所持で捕まる。(それを彼はアメリカのユダヤ人の陰謀だと言ってのける。)所持だけを認めれば簡単に保釈されたものを、徹底的に戦ったことから最終的には服役することになり、胃がんになり…不幸のどん底のように見えたのに、出所後にまた出版社を立ち上げ、映画を作り、結婚して子供まで作る。なんとも過剰な人である。

私が興味を持ったのは、この本の本筋とは違う些細な部分である。たとえば、松田優作は伊丹十三の映画を認めなかった、という話。「あいつの映画には血が通っていない」と言っていたのだそうだ。それから、「もう死んだから言ってもいいと思いますが、そのころ私が付き合っていた女性の一人が安井かずみなんですよ」という言葉。もう死んじゃったからいい、という言葉には、加藤和彦も含まれているのだろうか。既婚者であった、しかも、おしどり夫婦として名高かった安井と加藤夫妻のことを思うといやな気持になる。安井の死後、加藤がどんな風に変遷し、苦悩していたかを思うとなおさらだ。どこまで本当なんだろう、と思わずにはいられない。

筆者は、長期間の聞き書きインタビューに際してあらゆる下調べをして春樹に向き合っている。そこまで知っているのか、と春樹が何度も感嘆するほどだ。そのせいでつい口が滑るというところもあったという。確かに次々と時代に働きかけ、世の中をパワフルに動かした人だ。だが、そのために切り捨てたり傷つけたり壊したものも多かったのだろうと思わずにはいられない。

映画の世界でしばらく働いていた友人が当時を振り返って、今、騒ぎになっているセクハラ、パワハラ問題は、おそらく全部本当のことだ、と言っていた。力づくで周囲を思い通りにすることが当たり前とされ、それになんに疑問も感じず、おそらく人をひどく傷つけ、苦しめたことにも気づかない。そんな伝統が、映画界にはまだ巣くっている。角川春樹は自分が見ている世界を語ったのだろうけれど、見落としているもの、気が付かないものもたくさんあるのだろう。

角川映画が好きだった人には、きっととても面白い本だと思う。