本へのとびら 岩波少年文庫を語る 宮崎駿

本へのとびら 岩波少年文庫を語る 宮崎駿

2021年7月24日

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「本へのとびらー岩波少年文庫を語る」 宮崎駿 岩波新書

宮崎駿さんが、岩波少年文庫の中からお勧めの五十冊を紹介し、児童文学について語った本。

第一章で、本の表紙や挿絵のカラー写真と共に、宮崎さんの、その本の紹介文が載っている。これが、とてもいいんだな。読んだことがある本が多かったけれど、まだ読んでいない本も何冊かある。宮崎さんの文章を読んでいると、ああ、読まなくちゃ、と思えてくる。

おちびと買い物に行く電車の中でこれを読んでいた。おちびは、DSで百人一首(まもなく学校でかるた会があるのだ)を覚えていた。試しにとても短い「ネギをうえた人」の紹介文を見せてやったら、食いついてきた。二人でゆっくりページをめくりながら、二人とも読んだことがある本について話したり、まだおちびが読んでいない本について、私が思い出を話したりしていたら、あっという間に目的地に着いてしまった。なかなかいいひとときだった。

第二章では、宮崎さんと本との関わりについて、書いてある。具体的な書名を出して書いてあるので、同じ本を読んでいると、とてもわかりやすく、共感したり、ああ、私とはここが違うな、と考えたりして、楽しい。

宮崎さんは、石井桃子さんについて、強い尊敬を込めて、こんなことを書いている。

 僕らが学生の頃は、社会に対して問題意識やテーマを持たなきゃいけない、っていう意識が強かったんですよ。社会的な意識を持つこと。そのなかで自分はどういう時代のどういう場所でどういうふうに生きていくかということです。政治的な思想も含めて、社会に対しても、歴史に対しても、どういう考えを持つかが問われていました。子どもの本についても、子どもの自立や社会との関わりといった、はっきりしたテーマ性を持たなければいけないのではないかと、青二才どうし話し合っていたわけです。
ところが石井桃子さんの本を読むと、そういうことは何も論じていないのに、じつに心にしみる。論議の対象にならないのです。(中略)
学生の頃に、早稲田大学の童話会が「少年文学の旗の下に」などというアピールを出して格好よかったんです。今日的な問題性に立ち向かって、戦争体験や長編を書くんだという姿勢です。
しかし、こういうものと石井桃子さんの立ち位置は全然違いました。人間をつかまえてもっと広く深いんです。歯が立たない。石井さんを、僕らの議論に巻き込むことは不可能なんです。
別格であることは痛切に感じて尊敬していました。

この文章に、私は自分の学生時代をまざまざと思い出してしまった。私も児童文学研究会に所属していた。「少年文学の旗の下に」の系列を組む場所だ。そして、私も同じように、社会的な問題に立ち向かうことを考えていた。けれど、その一方で、何かもっと深くてあたたかく包みこむような物語を求めてもいた。そして、それはとてもわがままな、あまったれたことであるかのように、後ろめたく感じたりもしたのだ。

若かったなあ、と思う。今になって、この文を読むと、しみじみとわかる。子どもにとって、温かな場所、安心して心をゆだねられる物語がどんなに大切なものか、いまならよくわかる。まあ、でも、青い時代に、社会に怒りやいらだちを感じるのも、またわかることであるのだけれど。

「児童文学はやり直しがきく話である」と宮崎さんはこの本の中で、繰り返し語っている。それは、人生に対する、この世に対する信頼感を示すことだ。

「3月11日のあとに」という章で、宮崎さんはこう語っている。

 始まってしまったんです。これから惨憺たる事が続々と起こって、どうしたらいいか分からない。まだ何も済まない。地震も済んでいない。「もんじゅ」も片付いていない。原発を再稼働させようとして躍起になっている。そういう国ですからね。まだ現実を見ようとしていない。それが現実だと思います。

半ば絶望しながらも、彼はこう語る。

もうこの歳だし、出来ることと出来ないことが既に明瞭になっていると思うので、力を尽くすしかありません。僕らはまあ、いろいろやってきました。でもそれは今から思うと、のんきなものなんです。きびしい時代にきたえられたものではありません。
次の新しいファンタジーをつくるのは、僕がいま本選びで戦っている少年、彼らだと思います。
彼自身がそのままやるかどうかは別にして、彼らがいま何を感じて、これからどういうものを見ていくか。それで何かをつくるには、やっぱり一◯年かかる。
彼らが生き延びたら、彼らの世代が次のものをつくるんです。

次の世代に、祈るような願いを込めて、宮崎さんは、本気で本を選んで、紹介している。私も、良い本を、そんな風に、子どもたちに見せてあげたいと思う。

だけどね。
こう書かれていたことを、私はやっぱり最後に確認したい。まさしく共感した、この言葉を。

本には効き目なんかないんです。振り返ってみたら効き目があったということにすぎない。あのときあの本が、自分にとってはああいう意味があったとか、こういう意味があったとか、何十年も経ってから気がつくんですよ。
だから、効き目があるから渡す、という発想はやめたほうがいいと思います。読ませようと思っても、子どもは読みません。(中略)
本を読むと立派になるとかそんなことはないですからね。読書というのはどういう効果があるかということではないですから。それよりも、子どもの時に、自分にとってはやっぱりこれだという、とても大事な一冊にめぐり逢うことのほうが大切だと思いますね。

(引用はすべて「本へのとびら」宮崎駿 より)

2012/1/23