野の医者は笑う

2021年7月24日

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野の医者は笑う 心の治療とは何か?」東畑開人 誠信書房

 

著者は沖縄の精神科クリニックの臨床心理士であった。受け持ちのクライエントに、彼の心理療法の効果がゆっくりと見られるようになっていたある時、突然彼女は来なくなった。心配になって連絡をとって久しぶりに会った彼女はすっかり元気になっていた。沖縄でいう「マブイが落ちた」状態ではないかと親戚に言われて「ユタ」に「マブイグミ」という儀式を受けたり、聖地を拝んで回ったりし、最後に「ヤブー」と呼ばれるヒーラーを訪れたら、すっかり治ってしまったのだという。
 
沖縄にはそういう「野の医者」が多い。ヒーリング、アロマセラピー、スピリチュアル、タロット、レイキ、リンパマッサージ、マインドブロック・・・・。彼は、臨床心理士としての自分に無力感を覚え、「野の医者」をフィールド・ワークすることを決意し、トヨタ財団研究助成プログラムに応募して選ばれ(研究費は半額に値切られたが)、あらゆる「野の医者」体験をし、セミナーにも参加して資格さえ取る。そして、最後には臨床心理士としての普通の生活へと戻っていく・・・・。
 
読みながら私は最相葉月の「セラピスト」を思い出していた。あの本に登場する心理療法には河合隼雄氏が多く関わっていた。そして、この本の作者も、実は河合先生の「不肖の弟子」である。だが、最相葉月の生真面目さにくらべて、東畑氏のおちゃらけていることといったら・・・・。
 
作中にいきなり我が高野秀行氏の名前が出てきて思わず笑ったのだが、どうやら筆者は高野氏のエンタメのンフに大いに影響を受けたらしい。生真面目にテーマに取り組むよりは、少し離れたところから、笑いのめしながら、その全体像を客観的に捉えたい・・・のかもしれないが、結果的には、極めて主観的な本ではあった。でも、面白い。
 
心理療法なんて、結局こんなもんかもしれないなあ、と思う。治るとはどういうことか、という問題がここにも登場する。治る、とは「ハイになる」ことだったり「躁状態になる」ことだったりする場合も多々ある。本人が、自分の状態を受け入れて、それを抱えて生きていくもんね!!と元気に言い放つことができるかどうか、が問題だったりもする。ヒーラーとして人を癒す人の殆どが、かつては自分が病者であった、そして今も病者で在り続けながら人を癒やそうとしている・・・という野の医者の系譜も、実感として理解できるものがある。治るとは、生き方が変わったにすぎない場合が多いのだ。
 
河合先生の箱庭療法だって、どうして治るのか、本当に治るのか、どうやったら治るのか、そんなマニュアルは遂に存在し得なかった。というか、あえてそれらを否定することで、その療法が成り立っていた。であるなら、野の医者のやっていることだって、似たようなものであるのかもしれない。何が本物で正しくて、何が偽物で間違っているか、なんて誰にも言えない。苦しんでいた人が、それによって楽になり、元気になり、生きていく力と勇気をもらったら、どんな療法だって、それが一番なのだ。
 
筆者は、最終的に普通の心理療法士と仕手の生活と、大学講師としての仕事に戻っていく。けれど、その一方で、今でもミラクルな沖縄の野の医者たちと交流を続けている。
 
中島らもが生きていたらなあ。と、突然思う私である。アフリカの呪術を描いた彼が、あんなに薬漬けにならずに、野の医者のついつい笑っちゃうような療法を渡り歩いて、なんだかわからないけど、元気になったり、ダメになったりしながら、なんとか生きながらえて行くことができていたらなあ、と思う。人の心はむずかしい。そんなに簡単に誰かが治せるものではないけれど、どこかで何かの良い出会いがあれば、また違うものかのかも知れない。
 
本当に辛くなったら、このホンを読んでちょっと笑っちゃったらどうかなあ、と思う。あんまり怪しげなセラピーに大金をつぎ込むのはやめたほうがいいけどね。

2016/6/6