殺意の時

2021年7月24日

139

「殺意の時 元警察官・死刑囚の告白」澤地和夫 彩流社

 

このブログで何度か書いたことだが、私は犯罪者の心理に不思議なほど興味を持ってしまう。それは、私の中のダークな部分が呼応するからなんじゃないかと昔から疑っている。結構、凹む事実ではある。犯罪が起きた時、私はまず第一に、被害者より加害者側にの心理を知りたいと思うし、どうしたら彼(彼女)を救えたのか、どこで間違ってしまったのか、これからどうしたらいいのかと、そればかりが気になってしまうのだ。
 
そんな私ではあるが、この本を読んで、どうにもがっくりした。なんとも共感できる部分がなく(というか、犯罪者と共感したがっている自分が怖いといえば怖いんだが。)、読まなきゃよかったかも、とさえ思ったのだ。本の雑誌に紹介されていて、つい興味をもったのが間違いだったのかも。
 
この本は、作者が借金返済のため連続強盗殺人を犯し、死刑宣告を受けた後に書いた告白である。20年間警察官を務めた後に新宿に居酒屋を開き、その経営に行き詰まったところから借金地獄に陥り、「金を持っている悪人」を殺してその金で精算しようと犯罪に走ったのである。
 
『はじめに』の中で、親兄弟、妻子、保証人になってくれた人やお金を工面してくれた人たちへの謝罪と反省が書かれている。本来の自分ならやるはずもないことをやってしまった、これを他山の石としてほしい、と。
 
ところが、『やや長いあとがき』では、反省していると書きながら、意外な展開になる。自分が人を殺してしまったのは、借金を返すことによって、これまで迷惑をかけてしまった人たちを何とかしたいという思いからであった、と言い出すのである。金を借りても、知らん顔して逃げまわっておけば、うまい世渡りもできただろう。でも、それが自分にはできなかった、殺人をしてでも、何とか返そうという「人間としての倫理観、純粋性があったが故に」などと書く。もちろん、そんなのは通らないだろう、と言いながら、ではあるが。また、自分が詐欺事件を犯していた時に捕まえてくれさえすれば、詐欺師で済んだのに、警察が手をこまねいているから、殺人まで踏み込んでしまった、みたいなことも書いている。いやはや、この期に及んで、である。
 
彼は犯行について、ドストエフスキーの「罪と罰」をしばしば引用している。が、明らかに誤読としか言いようがない。読み進むほどに、自己中心性があらわとなって、なんとも心が寒々としてくる。
 
結局のところ、分をわきまえない金銭感覚は、人を貶める。お金で人の歓心を買い、自分の価値を現実以上に高く見せようとすることは、決して良い結果をもたらさない。そして、自分でやってしまったことに自分で責任を持たない限り、真っ直ぐな人生を送ることは難しい。そんな教訓を得ただけの、とほほな一冊であった。
 
ちなみに、作者は刑務所の中で病死したという。
 
 

2014/12/1