毒婦。 木島香苗100日裁判傍聴記

毒婦。 木島香苗100日裁判傍聴記

2021年7月24日

169「毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記 北原みのり 朝日新聞出版

婚活詐欺の果てに相手の男を練炭で殺し続けたという木嶋佳苗の裁判傍聴記。「別海から来た女」は、男性である佐野眞一の目から見たものだったが、これは女性から見た記録。やっぱりずいぶん違うなあ、と思った。

佐野眞一は、木嶋佳苗をサイコパスであるとして、心底怖がっている。けれど、北原みのりは、そういう決め付けはしていない。ただ、不思議だ、理解できない、という点から強い興味を持っているだけで。

私も木嶋佳苗の心理は全く理解できない。だが、一方では、こんな女性はどこにでもいそうな気さえしてしまう。と言ったら、男性は震え上がるのだろうか。

自分が女性であることをフルに利用して、男性からお金を引き出し、用が済んだら、あまり手のかからない方法で、始末をつける。ある種の感情が欠落した女性なら、誰でも思いつきそうなことのようにも思える。そもそも、援助交際ってそんなもんだ。若くてきれいだったら、もっと簡単に男性からお金を引き出せるから、後始末もしないで済むけれど、そうも行かなかった、それだけのことのようにも思える。と、書いていて、自分でもちょっとぞっとするけれど。

木嶋佳苗がブスでデブであることに、マスコミは注目したけれど、本当はそんなにブスではない、と北原みのりは書く。私もそう思う。ふっくらぽっちゃりしていて、言葉付きが柔らかく、仕草の優雅な女性は、結構魅力的だ。彼女は、ちゃんと自分の魅力をわかってそれを活用したんだと思う。

なぜ、こんな犯罪をしたのだろう。根底には、父親と母親の関係が潜んでいる、とやっぱり思ってしまう私。陳腐か?でも、知的だったという父親との異様な仲の良さと、母親が大怪我をしたと聞いても病院に見舞いにも行かなかった、母親と一緒に住みたくないので家を出たという母子の確執に、何かがあるんだろうと思わずにはいられない。そういえば、佐野眞一も、彼女の母親の反応の異様さを書かずにはおられなかったようだ。

新聞に発表された木嶋佳苗の手記を読んで、私は、彼女が書くことで、誰かとつながり、誰かに認められることを求め、それによって生きているように感じた。人は、何かに支えられなければ生きていけない。彼女を支えているのは、彼女の言葉を熱心に読むであろう人、なんかすごいぞ、と思ってくれる人の存在かもしれない、と思う。

練炭を殺人の道具に使うことについて、被害者の親族が「私たちは23区内に住む人間だから、何かに練炭を使うという発想がない。それは北の国の人の考えることだ」と発言した時だけ、木嶋佳苗の表情が激しく動いたという。なんだか、そこにヒントがあるように思える。

2013/1/23