琥珀のまたたき

琥珀のまたたき

2021年7月24日

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「琥珀のまたたき」小川洋子 講談社

 

小川洋子は、いつも常軌を逸脱した設定の小説を書く。窮屈なイスの中に入り込んで一日中チェスをする人や、コビトカバに乗って学校に行く少女や、一日たつと記憶を失ってしまう学者の物語など。
 
今回は、囁くような小さな声でしかしゃべらないアンバー氏が主人公だ。彼は、世間から隔絶された屋敷の中で幼少期を過ごしてきた。夫に裏切られた母が、幼い娘を失ったのを魔犬の呪いだと思い込んで、三人の子どもたちを守るために古い屋敷の中に閉じ込めて、そこから一歩も出さないで育て続けた。その一人がアンバー氏だ。
 
母親は子どもたちにしっぽや羽のついた服を作って着せる。彼らが大きくなり、服が窮屈になっても、こだわるのはその部品である。子どもたちは、母親が外に仕事に出ている間、魔犬に見つからないように、注意深く屋敷内で過ごす。母を捨てた父が出版していた大部の百科事典が彼らの教材になる。
 
閉じられた世界の暖かさ、美しさ、心地よさ。囁くような小さな声でしかしゃべってはいけないとしつけられた彼らは、声帯が退化し、本当に小さな声しか出なくなる。その声で、彼らは歌い、踊り、遊び、子ども時代を楽しむ。
 
この世をあらゆる約束事や常識から解き放って、違った場所や視点から見直すと、全く違う世界が見えてくる。日常の生活が不思議に満ちていく。そのために彼女は常軌を逸脱した設定を選ぶのかもしれない。
 
アンバー氏の子ども時代は、母親の狂気によって作られたものではあるが、満ち足りた時間と空間だ。温かく、安心な場所。だが、子どもたちは成長し、終わりの日が来る。
 
私は、小川洋子の初期の作品に馴染めなくて、しばらく彼女の作品を読まずにいた。その理由を思い出した。小川洋子の作品は怖い。隔絶された、母の狂気に守られた、あまりにも心地よく美しい世界。そこにうっとりと身を委ねてもいいんだよ、さあさあどうぞ、と搦め捕られていくような恐ろしさが彼女の作品にはある。
 
でも、その場にいつづけることはないのね。いつか出て行くのね、と私は気がついた。

2016/3/3