貴様いつまで女子でいるつもりだ問題

貴様いつまで女子でいるつもりだ問題

2021年7月24日

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「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」

ジェーン・スー 幻冬舎

 

第31回講談社エッセイ賞受賞。図書館にリクエストして長々待つ間にいつの間にか賞を取っていた。
 
女は生涯、いち女子である。と筆者は言っている。そうなのよねー。いくつになっても、女子なのよ、女性は。と、五十を超えて私もつくづく思う今日このごろである。
 
かわいらしいものを見てテンションが上ったり、女だけで集まってとりとめもない話を延々続けたり、明確な根拠なく何かを嫌悪したり、下手したらきれいな夕陽を見て涙をこぼしたり、世間で女子特有の行動とされているものは、合理性と無縁の地に存在しています。(中略)
 実は、女子女子言っている女たちも、自分がもう女子という年齢ではないことを十分自覚しております。それでも「自称女子」が跋扈するのは、「女子」という言葉が年齢ではなく女子魂を象徴しているからです。スピリッツの話をしている当事者と、肉体や年齢とメンタリティをセットにして考えている部外者。両者の間には、大きな乖離があります。
 
そして、「女子」は刺青である、と筆者は看破する。彫ったつもりはないのに、気づいたら彫られていた文字。若い頃はメンチ切って見せびらかす子もいる。三十過ぎたら隠しても見えてしまう。かといってTPOわきまえずに見せたら感じ悪い。私達は生涯、女子のタトゥーを背負って生きていく、と宣言している。
 
つまり、この本は、筆者が最初は否定したいと思っていた自分の中の女子性に気づき、それを隠さなくてもいいし、受け入れて認めてもいい、とわかったら生きるのが楽になって、これで四十代も迎え入れられそうだわ、という物語なのである。
 
私は彼女のように独身で三十代、四十代を生きてきてはいない。むしろ対局の生き方をしてきたのであるけれど、それでも言いたいことはわかる。女子だ女子じゃないとここで書かれていることは、結局は、若くて未熟だった頃には嫌いで否定したいと思っていた自分の中の本質的な部分なのだとも思える。まあ、それでもいいじゃない、そういう自分を生きていこうかな、と覚悟を決める道筋は、違う生き方をしてきた、私のようなおばさんにもそれなりにはあるのだ。そういう意味では、わかりやすい話ではあった。たとえば、
 
成長ともに増えた語彙は、私たちの心に渦巻く様々な感情や考えを,外に伝える役割を担っています。TPOを選ばず、すべてのシーンで本当の気持ちを包み隠さず話す必要はないと思いますが、豊富な語彙の用法を誤らないよう注意しながら、レトリックには惑わされず、まっすぐな言葉を使える心を持ちたい。
 
などという発想は、まさしく私がこの歳になってやっとたどり着いた心境そのものだったりもするのだ。傷ついたり困ったりもするけれど、なんとか上手に大人になるにはどうしたらいいのかな、という命題への彼女なりの答が、いろいろな題材を使って書かれている・・・のが、この本だ。と、私は受け取った。
 
(引用はすべて「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」より)

2015/8/6