先日、録画だけしておいた「NHKスペシャルシリーズ 原発危機 安全神話~当事者が語る事故」を遅ればせながら、見た。
長い間、日本の原発の「安全神話」の元となってきたのは、原子力安全委員会がが定める「安全審査指針」である。指針の策定や改訂をめぐって、専門家や官僚、電力会社は何を議論し、原発の安全を確保しようとしてきたというのか。番組では、安全委員会の議論と当事者たちへのインタビューをもとに、“神話”の内実が明らかにされている。
原発の立地条件として、アメリカでは原発周辺には低人口地帯を作ることを定めている。万が一事故が起きたときに、その被害を最小限に留めるためだ。ところが、国土の狭い日本でをそれを踏襲すると、原発の設置自体が困難となる。そこで、日本では、事故は起きない、安全である、という前提に基づいて、低人口地帯は必要ではないということした。
「そうしなければ、原発の立地はできなかったと思いますよ。」と、それを決めた当事者が画面で語っている。彼は、自分が何を言っているかがわかっているのだろうか。
スリーマイル島、チェルノブイリなどの大きな事故が起きるたびに、原発の安全性について検討、議論は行われてきたという。しかし、大きな見直しは、そのたびに却下され続けた。危険に対処する防護策を取ることは、取りも直さず、原発の危険性を認めることになる。今まで安全だと言い続けてきたことが、嘘だったことになる。
そして、せっかく原発を立地した自治体との間に築きあげてきた信頼関係をも崩すことになる・・・というのが、その理由だった。
原発の外部電源が故障したら、冷却機能が失われ、メルトダウンの危険性がある、ということに対して用いられたのが確率論だという。電源が故障する可能性が1000分の一だとしても、電源が二つあれば、両方が同時に故障する可能性は1000分の一×1000分の一である、と。しかし、津波は、その二つを同時に破壊した。その可能性を、「考えたことがなかった」と安全委員会は言うのだ。
安全策を取るのは、企業側の自主対策に任された。政府が管理することになると、原発の危険性を認めることになり、それは、政府が抱えている原発関連の訴訟の勝敗に関わってくる。一方、企業側は、政府の管理下に置かれると、多大な費用を安全関連に回さなければならない。両者の利害が一致して、原発の安全策は、電力会社が、自発的に行うこととなった。その結果が今回の事故に繋がる。
企業の利益よりも安全策が大事だとその時に言えていたら良かったんです。でも、何十年先か、何百年先か、いや、おそらく起こらないであろう事故に対して、何千万もの費用をかけなければならないといえる空気はありませんでした。と、当事者は語る。
誰もが、仕方なかった、と語っている。責任は自分にはない。当時の空気が、流れが、企業としてのあり方が、政府の方向性が、そうであった、と語る。では、いったい、誰が、この国を動かし、誰がこの国の電力を作り出していたのだろうか。
NHKは、原発問題については、鋭い追及を行なっている。かなり初期の段階で作られた「ネットワークでつくる放射能汚染地図」というETV特集の番組以来、私はこのスタッフは信頼に値する人たちだと感じている。御用学者のいう、根拠のない「大丈夫」「安心」を垂れ流すいいかけんなマスコミとは一線を画する、誠実な報道だと思う。
年末にかけて、NHKは原発関連のETV特集を、再放送も含めて、連日、放送する予定を組んでいる。まずは本日、10時から「シリーズ 大震災発掘 第1回 埋もれた警告」が放送される。
私が最初に、これはきちんと見ておかねば、と思った「ネットワークでつくる放射能汚染地図」は12月30日(金)午前2時5分から、再放送される。電力会社や政府が発表してきたことと現実との相違に愕然とする番組である。
深夜の放送ばかりなので、録画予約して、お正月に家族でじっくりと見て欲しい。原発の問題はこれからずっと続く。地震や津波は、まだこれからも起こるだろう。その時、稼動している原発はどうなるのか。これは、真剣に考えていかなければならない問題だ。
私のブログの原発関連の記事にだけ、時々、悪質なスパムがつく。それは、ほんとうに偶然なのだろうか・・・・。
2011/12/11